「社員が去っていく組織」には共通点がある

「人材不足なのに社員が定着しなくて困っているんです。特に若い社員や子育て中の女性が、なぜか次々と辞めていくんですよ」
沖縄県内企業の人材育成や、組織改革のコンサルタントに携わるようになって3年。特にこの数年、人事部門や採用担当者から同じような話を聞く機会が増えてきました。
「今まではうまく回っていたのに・・・」
「やっと採用できても、仕事を覚えたと思ったら辞めてしまう・・・」
企業規模や業界を問わず、どの企業も目の当たりにしている課題ではないでしょうか。
事例を重ねるうちに気がついたことがあります。有能な若手社員や、子育て中の女性が「去っていく組織」には、ある共通点があったのです。
そして、人が辞めていく、あるいは定着しない理由は、若手や女性社員からもれ聞こえる「不満」「不安」の中にヒントが隠されているのです。

◇執筆者プロフィル
波上こずみ(なみのうえ・こずみ) コズミックコンサルティング代表
子育て・介護と仕事との両立に苦しんだ経験を踏まえ、2016年に起業。「働く人のモチベーションを組織の活力へ!」をテーマに、沖縄の企業や個人を対象としたコンサルティングを手掛けている。1976年、那覇市首里生まれ。1男1女の2児の育児中。
使ってませんか? 若手がどん引きするNGワード

「会社のためなんだから頑張れ」
「何度も同じこと聞くな。見て覚えろ」
「やる気が足りない」
「あなたたちは自分たちの若いころより恵まれている」
「俺たちの時代はもっと大変だった」
こうしたセリフ、みなさんの会社で耳にしませんか? あるいは思わず「言ってしまった」という経験はありませんか?
これらの言葉は、若手や女性社員が思わず「どん引きしてしまう」というNGワードのほんの1例です。
「働き方改革」「女性活躍」に熱心だと思われている企業であっても、上記のNGワードは根強くはびこっています。
単なる言葉の問題ではないからです。根底にはびこる元凶は、「働き方改革」という意識からは程遠い「社風」「組織文化」にあるのです。
社内コミュニケーションは後回し
「ただでさえ人が足りなくて大変なのに、社内のコミュニケーションの機会を業務時間内に設けるなんてできるわけがない!!」
そう言って社員間のコミュニケーションをおろそかにしている企業は少なくありません。
こうした企業には、いくつかの深刻な「病」が蔓延していることに気付けずにいます。
◆ザ・属人化病
仕事が人についてしまい、他の人に引き継げない。本人も周りもその人しかできないと思い込んでいる病
◆自分のこと(自分の部署)しか知らない病
隣の部署や隣の人が何をしているかわからないので、自分の部署だけうまくまわっていれば大丈夫と思ってしまう病
◆他人の仕事のやり方を共有する場がない病
自分のやり方や自分の部署のやり方が正しいと思い込み、他人や他部署の知恵や経験、アイディアを共有することなく、全体で見れば非効率な仕事のやり方をしてしまっている病
社内コミュニケーションを後回しにし、こうした症状を放置している企業ほど、チームで成果を上げることに醍醐味を味わえず、他人に興味を示さなくなります。だんだん孤立していき、離職する社員が続出するという状況に陥るのです。
私が組織コンサルタントを始めたワケ
ここで少し、自己紹介を兼ねて自身の経験を紹介させてください。
私は、働く人がやりがいを持ってモチベーションを上げることで組織活性化に生かしてもらうことを目的とした「人事全般のコンサルティング」を行っています。この仕事を始めたのは、子育てや介護といったライフステージの変化によって働き方を見直さざるを得なかった私自身の経験が生かされています。
長時間労働が当たり前だった独身時代
私はもともと長時間労働社員でした。「18時以降が集中できる!」という誤った考えを持ち、ほぼ毎日残業をしていました。
当時は、今のように長時間労働が問題視されることもなく、むしろ
「仕事を頑張っている!」
「お疲れさま」
と美徳化されている風潮があり、私自身も長時間労働に対して「自分は頑張っている」と思い込んでいるほどでした。
「将来的には結婚して子どもがほしい。でも同じように仕事も頑張りたい! やる気があれば両立もできるはず!」と高をくくり、働き方を見直すことすらありませんでした。
そんな私に自分の働き方を見直す大きな転機が訪れたのです。
転機となった出産・子育て

大きな転機の一つ目、それは子どもができたことでした。
第一子である愛おしい息子が誕生し、産休・育児休暇を取得しました。
「授かった命をしっかりと守っていきたい」
「我が子がすくすく育つために親として頑張りたい」
という気持ちと同時に、
「今まで通り仕事も頑張りたい」
という気持ちで育児休暇を終え、職場復帰を迎えました。
ところが、復帰して愕然としました。
「働きたい」と思う自分の意思とは関係なく、子どもは何度も体調を崩すのです。毎週のように病院に通い、仕事を休まざるを得ない状況になりました。
出勤しても当然、以前のように残業はできません。その分、勤務時間内には最大限の成果を出そうと精一杯頑張りました。けれど、残業している同僚を横目に「お先に失礼します」と退社するのは後ろめたく、肩身の狭い思いをしながら帰宅する毎日でした。
また、「もっともっと子どもと一緒にいたい」という気持ちを毎日抑えて、泣きじゃくる子どもを保育園に預け、朝から夕方まで仕事をし、「子どもとの時間を犠牲にしている。何のために仕事をしているのか」という母親としての複雑な気持ちに苦しくなり、何度も涙していました。
その後、2人目である娘を妊娠。産休・育休を経て、2回目の職場復帰をしました。
そんな子育てと仕事の両立に悩む日々に追い打ちをかけるように、大きな転機となる二つ目のきっかけが訪れます。
壮絶な介護経験も
父の介護です。
娘を出産した直後から、父の体調に異変が起き始めました。
さまざまな医療機関を回った結果、「パーキンソン病」と診断されました。
発症当初は「家で過ごしたい」という本人の希望を叶えるため、母が中心となって父を介護する生活が始まりました。歩行の補助、食事の介助、着脱介助など、小さい体の母が父を支え、介護を担っていました。
父が倒れてしまい、その場から父を起こせなくなってしまった母から、仕事中の私や兄にSOSの電話があったこともあります。母に配慮せず、自分のわがままをぶつける父に、パニックを起こした母が家を出ることもありました。
「介護」。それは壮絶な日々でした・・・。
何度も家族会議を重ねた結果、このままだと母まで倒れてしまいかねないという思いから、父を施設に預けることを決意しました。
ところが介護認定を受けていても、介護老人保健施設はどこも満床。10年待ちと言われるところも・・・。介護を取り巻く環境の壮絶さを痛感させられました。
父の症状が徐々に悪化する中、なんとか入居できる施設が決まったのですが、誤嚥性肺炎などで救急車での搬送や入退院を繰り返す・・・。父が施設に入居しても、決して家族は楽ができる生活ではありませんでした。
両立に苦しみ、そして起業
父の介護に関しては、母に任せっぱなしでほとんど手助けができなかった罪悪感と、子育て・介護と仕事を全く両立できないことへの自分の力のなさや虚無感に襲われ、深く深く悩む日々でした。
「仕事は頑張りたい」
「でも子ども、両親、家族。大事な人たちともっと一緒に過ごしたい」
子育てと介護―。
このことがきっかけで、自分自身の働き方を見直し始めました。
今のままで本当にいいのだろうか。何度も自問自答しました。
そうした時に、俯瞰的に自分の組織や地域、社会を見てみると、こうした状況に悩む労働者がどれだけいるのか、そうした人たちが働く環境はどうなっているのかということがとても気になりました。
世の中では、「女性活躍」「少子化対策」「一億総活躍」という言葉が踊っているにも関わらず、果たして制約がある人々に対して受け皿が整っているのか。
時間内で効率良く仕事をする社員に、光が当たっているのか。
何よりも働きたいと思っている人の気持ちが汲み取られているのか。
そう思った時、自分の経験を生かして、何か貢献できないかと思い始めました。
私のように制約があるけれど働く意欲がある人たちをもっと助けたい!
こうした人たちに活躍してもらうことで、元気な企業を増やしたい!
働く人が生き生きできる沖縄にしたい!
そんな思いが芽生え、2016年4月、組織コンサルタントとしてCosmic Consultingを設立しました。

誰もが生き生きと働ける沖縄にするために
働き方改革関連法案が可決され、「働き方改革」が時代のキーワードになっています。
働く環境が大きく変化しようとしている中、私たちの島・沖縄においてはまだ前向きに改革に取り組んでいる事例は多くはありません。真の働き方改革とは、企業側・働く側の双方にとってメリットがあり、究極は一人一人が幸せな生き方を実現するためのものだと言われています。
本シリーズ「働き方改革@沖縄」では、企業の組織や採用に関するコンサルタントを担う専門家が中心となり、沖縄の「働き方」の現状や課題について深掘りします。
沖縄らしい働き方改革、沖縄だからこそ叶えられる働き方改革を提案していきたいと思っています。誰もが生き生きと働き、多様な働き方や生き方を実現できる沖縄を目指して。

執筆者プロフィル 波上こずみ(なみのうえ・こずみ)コズミックコンサルティング代表
1976年 那覇市首里生まれ。沖縄県立首里高校、東京経済大学卒業後、2001年JTBワールド(東京)に入社。04年に帰沖し沖縄観光コンベンションビューローに入職。05年に結婚、08年に長男、11年に長女を出産。復職後、同ビューロー初の組織内人事担当者として、人材育成プログラムを構築、講師を務めた。父親の介護問題にも直面し16年に退職。自身の経験を生かし同年4月、組織コンサルタントとして起業した。
波上こずみ公式HP http://kozumi-naminoue.com/