名物ライブハウス「Output」が移転。盟友二人が語る今までの歩みとこれから。


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Outputのオーナーで音響を担当する濱里圭さん(左)と、店長の上江洲修さん(右)。数多くのアーティストのステージを見守ってきた。

4月18日、衝撃的なニュースが飛び込んだ。沖縄の音楽シーンに多大な貢献をしてきたライブハウスOutputが、建物の老朽化に伴い9月末をもって現住所である那覇市久米での営業を終了する。そして新しい店舗はまだ見つかっておらず、営業再開の目処は立っていないという。同店は、2012年のオープンより平日・祝日にかかわらず、多くのライブイベントを手がけてきた。移転のニュースは、地方紙のみならず、大手音楽ニュースメディア「ナタリー」にも報じられた。報道の大きさから彼らが地域に根付き、愛されてきたライブハウスであることがわかるだろう。そんなOutputを創業から支えてきたオーナーの濱里圭さん、店長の上江洲修さんに、久米時代の7年の思い出を振り返っていただき、新しく生まれ変わる第二期Outputへ向けての意気込みを聞いた。

(聞き手・野添侑麻 琉球新報Style編集部)

ライブハウスは感情が「出る」場所

―Outputを創業から支えてきたお二人。改めて自己紹介をお願いします。

濱:濱里圭です。37歳で、那覇市首里出身です。Outputではオーナーと音響を務めています。

上:上江洲修です。南城市大里出身で、40歳です。

―二人三脚でOutputを運営してきて今年で7年。二人はそれまで、別の場所でそれぞれ活動していたと聞きます。出会いについてお聞かせください。

濱:出会いは東京時代。新宿LOFTというライブハウスで、僕は音響担当。上江洲さんは店舗スタッフとして働いていました。お互い担当業務が違ったので、一緒に働くことはなかったんですが、同郷ということで互いに気にはかけつつ(笑)。

上:その時から、二人で「いずれは地元沖縄でライブハウスをやりたいね」っていう話はしていました。

濱:僕は東京に7年間しかおらず、上江洲さんより先に沖縄に帰ったんです。那覇にあるライブハウス、桜坂セントラルのオープンスタッフとして働いていました。働きつつも昔からの夢だった「自分のライブハウスを持つこと」に向けて、機材を集めるなどして開店に向けて、少しずつ準備していました。そして2012年に独立し、Outputをオープンさせました。

―ちなみにOutputの名前の由来って、何なんですか?

濱:やっぱりライブハウスって、楽しいとかカッコいいとか、いろんな感情が「出る」ところだと思うので、それにちなんでOutputと名付けました。ここから沖縄のアーティストも飛び出ていってほしいなという思いも込めつつ。

―なるほど。そこからすぐに上江洲さんもOutputに合流したんですか?

濱:いや、オープン当初は僕一人でやっていました。

上:僕はまだその当時は、東京の下北沢シェルターっていうライブハウスで店長をしていました。

濱:Outputをオープンした当初、上江洲さんに挨拶を兼ねて「ライブハウスを始めたので、沖縄に来たいっていうアーティストがいたらご紹介ください~」って連絡したんですよ。その時に「まだ沖縄に帰ってこないだろうな~」とは思ったんですが、「上江洲さんも帰ってきて一緒にやりましょう」とも言ったんですよ。すると、とある平日のバー営業の日に、ふらっと上江洲さんがOutputに飲みがてら遊びにきてくれたんです。

上:東京にいる時から遊びにいきたいなとは思っていたんで(笑)。シェルターの店長になった時から、「2年経ったら沖縄に帰ろう」と思っていたし、その後に東日本大震災もあって、戻ることを決めました。2012年11月にOutputに合流しました。

沖縄と東京の橋渡し役

―語り尽くせないと思いますが、この場所での思い出はありますか?

濱:いっぱいありますけどねぇ…。その中でもオープン初日は今でも覚えています。お披露目会ということで無料イベントを行ったんですが、変な緊張感があって…(笑)。ここでやる初めてのイベントということもあって、思い入れがあります。

上:僕も最初に手掛けたイベントはよく覚えていますね。「佐藤タイジ」さんを招いて行ったイベント。それと沖縄戦があったことを忘れないために音楽で発信する「琉球魂」をOutputで開催できたのも感慨深かった。もともと県外の人に慰霊の日を知ってほしいために開催したイベントですが、開催場所を沖縄に移してからも僕自身はもちろん、沖縄の若い世代に伝えること、また県外のアーティストにも沖縄の歴史を知ってほしいという思いで開催しています。

―逆に苦労したエピソードなどはありますか?

上:苦労だらけじゃないですかね(笑)。大きな会社が運営しているライブハウスではないので、金銭面は苦労しています。

濱:大きい音が出るので、周辺からのクレームは大変でしたね。この辺、お店も多いので。逆に報われたことといえば、東京時代から付き合いのあるアーティストがよく使ってくれたのは嬉しかったです。

上:つながりあるアーティストを沖縄に連れてくることが出来たのは嬉しいですね。逆に県内のアーティストが東京でライブを行う際の橋渡しになることもできて、そこも嬉しかった。

―Outputで力をつけた沖縄のアーティストが、下北沢シェルターなどでライブをする機会も増えたように感じていました。二人がOutput運営の中で大切にしてきたことってありますか?

上:関係性かな…。出演者、スタッフ、お客さん含めて。自分が難しい人でもあるので…(笑)。あとは自主のイベントを多く企画すること。貸しライブハウスとしてだけではなく、しっかりと僕たちなりのライブハウスの方向性を示して、Outputならではの発信の仕方を大切にしてきました。何でもチャレンジさせてくれるオーナーの懐の深さには感謝しています。

濱:ライブハウスなので、ライブっていう生の現場が一番だと思っています。そこが一番の営業ポイントだと思うので、ライブが楽しければお客さんはまた来てくれると思います。なので、一本一本のライブを大切に届けることを心掛けていました。

―音楽ライブだけじゃなく、トークイベントも多く開催していますよね。憧れていた東京の「LOFTプラスワン」のようで、「沖縄にもカルチャーの発信場所が出来た!」と当時大学生だった僕は歓喜していました。

上:平日はなかなかスケジュールが入らないこともあるので、そこを利用してトークイベントを企画しました。ジャンルがはっきりしていて色が見えやすいし、ライブハウスに足を運んだことのない人へのきっかけ作りになったと思います。プロ野球キャンプの時期にはファンを交えたトークイベント。安室奈美恵さんが引退した年にはアムロ愛を語るトークショーなど開催してきました。

アーティストが育つステージに

楽屋の壁には今まで訪れたアーティストたちのサインが隙間なく書かれている。

―この場所で様々なアーティストを見てきたと思うんですが、思い入れのあるアーティストはいますか?

濱:県内のバンドなら、ヤングオオハラ。メンバーのヨウヘイは高校の時からここでスタッフとして働いていたし、よくライブもしていましたからね。応援しています。県外なら東京にいた時からお世話になっているバンドHawaiian6。周年イベントにも出てくれたし、嬉しかったな~。

上:僕はもう解散しちゃったんだけど、JACK THE NICHOLSON’Sや我如古ファンクラブは思い入れありますね。ちょうど僕が沖縄に戻ってきた時に勢いのあったバンドだったので印象に残っています。県外のアーティストなら、BiSHですかね。彼女たちが大きくなる前から使ってくれていたし、その過程を見るのも含めて。

Outputは「みんなのもの」

―ここからは話題になっている移転の話へ。そもそも何故移転することになったんですか?

濱:入居しているビルの老朽化ですね。2年ほど前から大家さんから話をされていたのですが、その時はあまり気にせず(笑)。ちょこちょこ物件探してはしていたんですけど、良いところに出会えず。しかし、老朽化が予想以上に進んでいたみたいで、今年9月末での移転となりました。なにやら人が立ち入ってはいけない危険なビル的なのに指定されるそうです…(苦笑)。

上:僕も初めて聞いた時は実感が湧かず、「何とかなるだろ~」って思っていました(笑)。新しいところも見つかって順調にいくんだろうなとは思っていたんですけどね。今は9月末までのスケジュールは入っているのですが、それ以降はストップ状態。

―先週(4月18日)移転のお知らせをしてから、多くの方から反応があったのでは?

上:まさかこんな大事になるとは思わなかった(笑)。音楽ナタリーが取り上げてくれたのはびっくりした。僕らのツイッターを見て、独自で報じてくれたみたいです。

濱:みんなから多くの反応をもらって、この場所はみんなの物なんだと感じました。那覇を中心に新物件を探していますが、良い条件なら他の地域でやるかもしれません。

―新しいOutputで、何かチャレンジしてみたい事はありますか?

上:今より広くなったら、もっと面白いことができると思います。今のキャパが120名なので、400名くらい入る物件に出会えたら最高ですね。

濱:逆に今より小さくなる可能性もあるけどね(笑)。贅沢も言っていられません。今はまだ何も決まっていないけど、どうにか形にします!

―最後に、久米での営業を終えた感想も含めて、次のステージに進む意気込みを聞かせてください。

上:この場所はなくなるけど、僕たちはライブハウスの職人なので別の場所に移転しても、今まで以上のスキルを出して、良い企画を作っていけると思います。なので、次も期待して待っていてほしいです。

濱:さっきも言ったんですけど、ライブハウスはみんなの場所だということを痛感しています。だからこそ早く次のステージを作って、いろんなアーティストに使ってほしいなと思います。

アーティストのポスターが隙間なく貼られた入口へと続く階段。いつだってカルチャーは地下から生まれてきた。

【編集後記】
中学生の時からロックに熱中していた私は、勢いのあるインディーズバンドがスターダムを駆け上がっていく様子を「ライブ」で体感できる県外の人たちが羨ましくて仕方なかった。当時の沖縄には、地理的な条件もあって、ある程度の集客が見込めるメジャーなアーティストしか来ることができないのが現状だった。

そこに登場したのがOutput。バンドの聖地である下北沢シェルターで店長を務めてきた上江洲さんの持ち前のアンテナ感度と熱量で、どんどん県外のバンドを誘致してきた。店の奥の音響室でどっしりと構える濱里さんは、演出面でアーティストの魅力を最大限に引き出す。イベントが終われば柔らかな笑顔で関係者やお客さんと話している姿が印象的だ。

バンドに限らず、アイドル、ヒップホップ、トークイベントなど多彩なライブを展開し、間違いなく沖縄にカルチャーの金字塔としてあり続けたライブハウスだ。店を支える二人の人柄も相まって「Outputがホームだ」と宣言するアーティストも増えている。そんな愛されるライブハウスの第二期のスタートを楽しみに待っていたい。


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