バンドマンによって立ち上がった「幡ヶ谷再生大学復興再生部」とは


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2019年4月13日、ORANGE RANGEが主催するライブイベント「テレビズナイト019」が、沖縄市のミュージックタウン音市場&音楽広場で開催された。音楽のみならず、ダンスやスケートボードなど、ストリートカルチャーを織り交ぜた彼らがデビュー前から開催しているイベント。そこにとある団体の特設ブースが展開されていた。彼らの名はNPO法人「幡ヶ谷(はたがや)再生大学復興再生部」。BRAHMANのボーカルであるTOSHI-LOWが立ち上げた当団体は東日本大震災以後、東北や茨城県、愛媛県や熊本県など全国各地の被災地での復興支援を行っている。そんな彼らは沖縄にも度々訪れ、この島が抱える問題にも向き合い寄り添っている。2日間に渡る沖縄での活動に密着し、想いを聞いた。

◇聞き手・野添侑麻(琉球新報Style編集部)

自らを見つめなおす場

幡ヶ谷再生大学復興再生部(以下、幡再)とは、いったいどのような活動を行っている団体なのか。立ち上げメンバーであるゆかりさん、活動に足しげく参加するORANGE RANGEのYOHさんに話を伺った。

ゆ:「幡再は2006年に仲間内で始まった団体です。メンバーのTOSHI-LOWが所属するバンド、『BRAHMAN※1』の事務所がある幡ケ谷で、ランニングや格闘技など仲間達でサークルのように集まっていました

幡ヶ谷再生大学復興再生部の立ち上げ人の一人であるゆかりさん(左)、各地の活動に積極的に参加するORANGE RANGEのYOHさん(右)

そんな中、東日本大震災が起こりました。各々で支援活動を行っていましたが、震災から1年が経った時にTOSHI-LOWから『長期で復興のサポートができる団体を作ろう』という話を受けて、『復興再生部』が立ち上がりました。当初は東北の活動だけでしたが、全国各地で災害が起こる度に仲間とかけつけて手伝っています。でも、私は復興支援の団体という認識はなく、あくまで『自分と社会のことを考えるきっかけの場』としてありたいと思っています。社会って様々な問題が繋がっているのに、肝心な繋がっている部分が見えにくくなっている。災害はそういった問題を分かりやすく浮きだたせてくれるんです。なので、参加者には幡再での支援活動を通して自分と社会を見つめなおし、一歩踏み込んで考えるきっかけの場にしてほしいと思っています」

一人ひとりが考え、意思表明できる社会に

―活動を行う上で大切にしていることはありますか?

ゆ:「『現地に足を運ぶこと』を大切にしています。地元の人の話を聞いたり、景色を見て自分なりに考えること。それが今後、世の中のことを一歩踏み込んで考えるきっかけに繋がると思うんです。世の中のおかしいことって、すぐに変わればいいけど、急に変わったものってすぐに崩れてしまう。そうではなく地道な積み重ねで向き合って変えていくしかないと思います。例えば米軍基地や原発など生活の中に長くある問題に対しても、賛成も反対もどちらの意見も聞いた上で、『じゃあ、私はどう考えるか』ということを積み重ねていく必要があると感じています。お互いに対して反発していても何も生まれない。互いを知って接点を見つけることが大事だと思います。

昔の社会運動などって『数』が大きな力だったじゃないですか。でも、時代の流れで『皆がやっているから』と言って活動に参加していた人もいたんじゃないかと思うんです。自分の意思なく流れに乗り盛り上がるだけではなく、自分で考えて、自分の意思で行動できる人が増えた未来は明るいと思います。そういう人が増えればいいなと思いながら、活動を行っています。だから幡再への活動の参加応募は、自分の意思を表明するために必ず個人での申し込みをお願いしています。『なぜ参加したいのか』っていう意思表明を行うきっかけとして、個人での参加という形を大切にしています」

『自主練』を大事にする理由

―先ほどおっしゃっていたように、幡再の活動は全国に広がっているように感じます。

ゆ:「各地で地元の幡再生たちを中心としたメンバーが率先的に動いています。そのことを私たちは『自主練』と呼んでいます。自分たちが生きている場だからこそ、住んでいる地元の子たちが中心となって活動を続けていくのが一番。私たちのような外部の人が仕切るのは本来あるべき姿ではなく、『自主的に自分の生きる場を考える』という意味で、自主練の活動も大切にしています」

各地での自主練の様子。幡再の出展ブースでは、全国各地での活動の様子を展示している。

―YOHさんも、各地での活動に参加されているとお聞きしました。

Y:「いろんな方のお話が聞けるというのが参加している一番の理由です。報道番組などで聞く被災者の方々の言葉。実際に現地に行って彼らと関わることで、その言葉の真意を深く知ることができる。錯誤する情報に惑わされることなく、日本で今何が起こっているのかを知るためにも参加しています」

様々なアイディアで復興支援

―幡再とORANGE RANGEが一緒に活動を行うことになったきっかけは?

Y:「15年来の友人が都内で『VIRGOwearworks』というアパレルをやっていて、幡再の事務局を担当しているんです。そういった個人レベルでの繫がりがきっかけとなって茨城県や熊本県など、地震や豪雨被害のあった地域の支援活動に共に参加しています。

今回のテレビズナイトでは、『木札 with a mission』というプロジェクトの下、コラボ木札を作りました。2017年7月に九州北部を中心に発生した集中豪雨。土砂崩れで約20万トンもの流木が流れ出て、大きな被害がありました。幡再でも被害のあった福岡県朝倉市に入ったのですが、流木の山があちこちに積み重なっていました。『これはどうにもならないと思うよ…』と落胆する地元の人たちを励ましながら、この流木を使って災害が起こったことを忘れないように、想いを届けられる物に出来ないかと考えました。そこで『東北ライブハウス大作戦』が行っていた『木札作戦』に着目しました」

コラボ木札には、当日イベントに参加した多くの賛同者たちのコメントが寄せられた。

ゆ:「東北ライブハウス大作戦とは、東北三陸沖沿岸地域の宮古市・大船渡市・石巻市にライブハウス、福島県の内陸部猪苗代では季節オープンの野外音楽堂を設立するプロジェクト。木札作戦とは彼らの活動に賛同いただける方に一口5000円で募金協力を行い、賛同者の名前やコメントを木札に記載して各ライブハウスの壁一面に張り出している活動です。その木札に、朝倉の流木を再生して使えるのではと思ったんです。九州と東北、それぞれの被災地を繋ぐことで、『自分たちだけじゃない』というメッセージも伝えられるのではと思っています。また木札に『福岡・朝倉』の文字を刻印することで、木札を見た東北の人たちが朝倉の災害のことを知って、他の被災地にも目を向けるきっかけになるかもしれない。お互いに大変な中でも助けあっていけるきっかけになれればと思っています」

テレビズナイトの翌日、幡ヶ谷再生大学は沖縄本島北部を巡るスタディツアーを行った。彼らはこれまでも沖縄を訪れ、米軍基地や沖縄戦の体験談を見聞きしてきた。今回のツアーでは、米軍北部訓練場のある東村高江区と名護市嘉陽にある自然体験施設「じんぶん学校」を訪れた。彼らはどのような思いで、沖縄の現状を学んでいるのか。胸の内に迫った。

未だに戦争が終わっていない場所

―今回、何故沖縄でスタディツアーを行うのですか?

ゆ:「今まで沖縄に来た時も、幡再の活動は行っていました。昨年はライブツアーで来たMONOEYES※2と一緒に「対馬丸事件」の体験者である平良啓子さんのお話しを聞きました。2016年にはTOSHI-LOWや細美武士、YOHも一緒に辺野古や高江を訪れました。

2018年には一般からの参加者も募り、対馬丸事件から生還された平良啓子さんに体験をお話しいただく会を開催した。(写真提供:幡ヶ谷再生大学復興再生部)

今回のスタディツアーを企画した経緯も、『他人事ではなく、今の沖縄の状況を知ってほしい』と思ったのがきっかけです。日常の中に米軍基地があって、本土からも基地を移され、米軍関係の犯罪があっても全国的に見れば報道されないことも多い。私は、そんな状況に置かれている沖縄は、語弊があるかもしれませんが未だに戦争が終わっていないと思っています。そんな沖縄を皆はどう捉えているのかなと。なので、今回は一般からも参加希望者を募って、皆で学ぶという形を取りました」

反対運動の場である前に、ここは生活の場

本日最初のスタディツアーの場である、東村高江区に到着した。高江は沖縄県北部に位置する人口約140人の小さな集落。美しい山や川に囲まれた自然豊かなこの地は、米軍北部訓練場と隣り合わせにあり、対ゲリラ訓練や敷地内にあるヘリパッドを使用した軍用ヘリコプターの飛行訓練が昼夜を問わず行われている地域でもある。

高江に暮らす石原さんの案内の元、スタディツアーは始まった

案内していただいたのは、高江区で暮らすミュージシャンの石原岳さん。500人以上の機動隊が投入された2016年の米軍ヘリパッド建設工事前後の話をしていただいた。

「2006年に那覇から高江に移り住んできました。豊かな自然の下で子育てをしようと思った矢先に、住民には何の説明もなくヘリパッド工事が始まってしまいました。今まで市民運動などをした経験もないのですが、工事に反対するために高江に住む友人たちと座り込みを始めました」

6月までは野鳥の繁殖期のため、ヘリパッドの補填工事は止まっているが、今でも多くの警備員が駐在している。続いて石原さんは、N1裏と呼ばれる場所に案内してくれた。
 

N1裏で体験談を話す石原さん

「今は跡形もないんですが、ここには座り込むためのテントがありました。最も状況が緊迫していた2016年7月には、この細い道に市民と機動隊合わせて何百人も集まりました。当時の僕は怒りを原動力に反対運動をしていたけど、『それだけではまずい』ということに気づきました。高江の現状を多くの人に知ってもらって届けるためには、愛とユーモアを持って伝えていかなきゃいけない」

休憩のため、石原さんは集落にあるご自宅へと参加者を招待してくれた。お茶とお菓子を振る舞いながら、当時の集落内の様子を話してくれた。

「普段はほとんど車が通ることのない家の前の村道を、機動隊を乗せた車が朝から何十台も往来する様子は、非日常の世界のようで、とにかく異質でした。ヘリパッドは完成してしまい、夜遅くでも米軍のヘリコプターが飛び続けています。2年前には高江の牧草地に米軍ヘリが不時着し、炎上する事件も起きました。現場のすぐそばには地主さんのご自宅もあり、一歩間違えれば大惨事になっていました。この村は反対運動の場である前に生活の場。住民が家族と暮らす場なのです。もう事件や事故はこりごりです」

「私たちのようにヘリパッド建設に反対する者、建設しようと考える国。お互いそれぞれの信じる『正義』の下に活動しています。しかし、ただ相手の掲げる正義全てに反対するだけじゃなく、時折自分の考える正義は間違っているんじゃないかという疑う気持ちは持っていたいと思っています」

生きる知恵(じんぶん)を伝える場

―続いて、名護市嘉陽にある「じんぶん学校」へ。ここは「エコネット・美」が運営する自然体験施設で、山奥を抜けた太平洋を望む小さな浜辺「ヌーファの浜」に包まれるように広がっている。はるか昔この地に住んでいた先祖の暮らしを追体験できる場所だ。そんなじんぶん学校で働く島袋信悟さんに話を聞いた。

山道を下り「じんぶん学校」を目指す一同

「じんぶん学校は、環境教育に重点を置いている施設です。じんぶんとは、沖縄の言葉で「生きる知恵」を意味しており、海や川の体験、山菜採り、薪を使った料理などの体験を通して、じんぶんを育むことができる場となっています。山道を20分ほど歩かなきゃたどり着けないので、訪れた人はみんなびっくりします(笑)。でも、はるか昔の僕たちの祖先は、こんな大自然の中で暮らしていたと思うので、訪れた人たちはどこか懐かしむ人が多いんです」

島袋さんは、じんぶん学校が作られた経緯についても話してくれた。そこには、今もなお名護市が向き合う米軍基地の存在があった。

「ここ名護市では、海上に米軍基地施設を建設する話が持ち上がり、1997年には是非を問う住民投票が行われました。じんぶん学校は、そんな基地建設を反対していた地元の人達によって作られた場所です。周囲から『反対するだけでは食っていけない。基地を受け入れれば街は経済的に潤う』と言われる中で、『僕たちの地元には豊かな自然がある。先人が残してくれた知恵(じんぶん)がある。その魅力を伝えながら経済的にも自立していける土台を作ろう』という流れが発端でした」

「地域の人たちに相談していく中で、嘉陽にじんぶん学校を作ることが決まりました。その決め手は川があったからなんです。川水は電気もガスもないじんぶん学校の大切なライフラインです。当時7人いた立ち上げメンバーは、海から船に乗せて材料を運び、じんぶん学校へと続く山道を作り、小屋や炊事場を建てる作業を、時間をかけてひたすら手作業で行いました」

みんなで食べるということの大切さ

参加者全員での食事は、幡再が大切にしていることの一つ(写真提供:幡ケ谷再生大学)

到着すると、じんぶん学校特製の手料理を頂くランチ会が開催された。今日のメニューは、海水を使った沖縄郷土料理の手作りゆし豆腐、卵カレー、畑で採れたプチトマト。幡ケ谷再生大学では、「食」を大切にしており、活動後は手作りの食事を参加者と一緒に頂くのが定番となっている。食についてのこだわりをゆかりさんに尋ねた。

「幡再は、皆で食べるということを大切にしています。地域の食材を使って皆で同じものを食べる。でも最近はレトルトやコンビニ弁当などで済ましたり、孤食になっていたり、食事が空腹を満たすだけのものになっているように感じます。「簡単・便利」と言われるものばかりに頼らず、ちょっと時間あれば手間をかける。食は生きる根幹だから、しっかりと愛情を持って手をかけて作った料理を食べれば、その違いは身体が一番わかると思うんです。命をいただき、命を繋いでいく食事の大切さを考えることも活動を通して伝えたいことです」
 

真剣な表情で自然遊びに向き合う子どもたち

食事を終えたら、各々自然の中で過ごす時間を楽しむ。子どもたちは率先して自然遊びを満喫。落ちている葉を編んでテント状にし、石を並べ簡易的なかまどを作り始めた。大人が何も言わずともアイディアを形にして、0から1を作り出す。じんぶん学校の教えをさっそく表現している子どもたちの姿に、大人たちは驚くばかり。スマートフォンの電波も入らない環境の中で、自然と共に暮らしを見つめなおす特別な時間を過ごした。最後に今日のスタディツアーに参加した感想をYOHさんに尋ねた。

本当の「地元愛」とは

Y:「何度も足を運ぶと、行く度に地元の人から聞ける話も深みを増していきます。一回話すだけでは説明できないことが起きている場所だからこそ、何度も通って会話をすることが大切。基地問題に関しても、複雑な事情が絡みあっています。そのことについて考えようと思っても、自分のキャパを超える問題の大きさに目を背けてしまいがちなんだけど、実際に現地に行って空気を感じることで分かることもあります。いつか僕らの代で問題に対して決断しなきゃいけない時が来るかもしれないし、その時に向けてたくさん知っておくべきことがあると思います。そのためにも、今日訪れた場所には通い続けたいと思います」

高江の展望台から沖縄の海を望む(提供:幡ケ谷再生大学)

「幡再の活動で訪れた全国各地の土地で、そこに住む人達の『地元愛』を感じています。沖縄の人も地元愛は大きいですよね。僕ももちろん沖縄を愛しています。でも、もっと自分から動いて沖縄の表も裏も知っていくことで、より大きな『地元愛』が生まれると思います。他県の人たちの地元愛に触れてきたからこそ、より自分も生まれ育った沖縄について真正面から向き合えるようになれた。分からないままにするのではなく、学びながら沖縄のことについて考えていきたいと思います」

元々は被災地への「単発的ではなく、長期を見越して復興へのサポートを行う」ことを使命に立ち上がった幡ヶ谷再生大学復興再生部。しかし、支援活動とは別に問題を抱える地域を訪れ、地元の人と触れ合う中で新たな視点に触れ、知見と生き方を広げる活動も行っている。「右」や「左」といった形の枠組みではなく、対話を重ね、遊び心を忘れず、人として気高く生きる道を選択し、自らの人間復興を行う場。それが幡ヶ谷再生大学復興再生部なのだ。「生まれ育った街のこと」「生まれ育った国のこと」について考えるきっかけをいつでも提示してくれる彼ら。彼らの活動に、一度参加してみて自らを見つめなおす時間を設けるのはいかがだろうか。

●幡ケ谷再生大学復興再生部 HP http://hatagaya-saisei-univ.jp/rebirth/index.html
●幡ケ谷再生大学復興再生部 Twitter https://twitter.com/re_birth_univ

※1 BRAHMAN…1995年結成のロックバンド。パンクや民族音楽などをベースにしたミクスチャーなサウンドが特徴。
※2 MONOEYES…細美武士(Vo,G)、一瀬正和(Dr)、スコット・マーフィー(B,Cho)、戸高賢史(G)からなる4人組バンド。

聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)

琉球新報Style編集部。音楽と湯の町別府と川崎フロンターレを愛する92年生。18歳からロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作っている人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。沖縄市比屋根出身。