ようこさん記者とれいちゃん記者、なかよし記者は夏の暑さにうんざりしていた。気持ちだけでも涼しくなりたいと向かった先は豊見城市の瀬長島。島には2015年に「瀬長島ウミカジテラス」が誕生している。
リゾートと地元の憩いの場が融合している不思議な島をほろほろしてみた。
潮風と、セイシュン
那覇空港を発着する飛行機のエンジン音に驚きながら、瀬長島に足を踏み入れた。球場 1 で野球に熱を上げている人たちを横目に歩いて行くと、右手にビーチ 2 が見えてきた。辺りを見回すと、なかよし記者が何かに空気を入れている家族連れを見つけた。
「ネットショッピングで買ったSUP」。教えてくれたのは新垣寿志さん(46)。「SUP」とは、サーフボードのような板に立ち、オールをこいで海上へ繰り出す「スタンドアップパドルボード」のこと。息子の春樹君(10)は「楽しみ」と話し、弟の航樹君(8)と寿志さんの準備を手伝っていた。
ビーチから上がると「瀬長島スポーツパーク」 3 という半円状の看板が見えてきた。少年たちの元気な声が聞こえてくる。バスケットボールのシューティングゲームではしゃいでいたのは、玉元蒼倭君(16)ら高校生4人組だ。「中学の同級生と来た。勉強と部活のいい息抜きになる」と話す。
爽やかだな。青春だな。瀬長島では他にどこで遊ぶか聞くと「ウミカジテラス」と玉元君。「タピオカドリンクのお店によく行く」とのこと。何それ、おいしそう。なんだかおなかもすいてきた。よし、ウミカジテラスに向かおう。
南欧、バーガー、そして手仕事
海岸沿いに白亜の建物が立ち並ぶショッピングスポット・ウミカジテラスが現れた。南欧を思わせるしゃれた雰囲気が漂う。
テラス内をほろほろしていると「エイトマンズシーバーグ」 4 という看板を発見。「マグロタルタルアボガドバーガー」「伊良部のなまり節チーズバーガー」。個性的なメニューが食欲をそそる。
「オリジナルフィッシュバーガー」は県産のメカジキ、シイラ、ソデイカを練り込んで揚げパンで挟んだひと品。酸味の利いた「サルサ」をつけてかぶりつく。うまみが口に広がり胃袋がじわーと満たされる。
「パサついて脂身が少ない」といわれる県産魚の印象を変えたいと、オーナーの玉城弘康さんがさまざまな調理法を試みてメニューを開発した。今も新メニューを研究中という。その情熱に心もじんわりとなる。
店を出ると西日が強くなってきた。なかよし記者がまぶしさに顔をしかめると、おしゃれな店「INDIGO CAMP」 4 が目に入った。店内の壁には商品のかばんや工具などがびっちり。店主の長堂嘉史さん(42)が営む店舗兼工房で、かばんはアウトドアにもぴったりな素材でできている。
「トラックのテントに使われている幌(ほろ)という素材なので丈夫。防水でもある」と長堂さんは胸を張る。
全て手作業で丁寧に作られているため、確かに丈夫そう。「傷も味になる。使い込むほど味わい深くなりますよ」。長堂さんのかばんに向き合う姿勢と、手仕事になかよし記者はほれぼれしたのだった。
夕日に癒やされて
日没が近づいてきた。海岸ではジョギングに励む男性、犬を散歩する家族連れ、のんびり散歩をする台湾からの観光客も。
「最高っ!」。朗らかな声に振り返ると、夕日をバックにポーズを取る女性2人組。「インスタ映えする景色ですよ!」。交互にシャッターを切るのは、大学生の島田聖(きよら)さん(22)と看護師の市原茉奈さん(21)。自然の景色とおいしい食べ物を求めやってきたという。
夕日を眺めながら3人の記者は、テラス1階の「足湯」 6 で疲れをほぐす。仕事に情熱を傾ける店主たちとの出会い。夕日を浴びてきらめく風景が、へたれそうになっていた心に元気を取り戻してくれた。
実はパワースポット
現在は観光地になっている瀬長島だが、実は伝説や遺跡、拝所が残る、歴史ある島なのだ。豊見城市教育委員会文化課の島袋幸司さん(34)によると、太古の時代に琉球国を創ったアマミキヨの子・南海大神加那志(なんかいうふがみかなし)が最初に瀬長島に住み、豊見城が栄えていったという発祥伝説が残っているという。かつては瀬長按司が住む瀬長グスクも存在し、当時の陶器や土器も出土している。
戦前までは住民が暮らし、沖縄八景の一つに数えられる景勝地だったが、沖縄戦で住民たちは島を追われた。さらに戦後の米軍基地建設工事によって島は削り取られ、地形は大きく変わってしまった。1977年に返還されるまで、島は弾薬貯蔵基地として使用された。
基地建設によって、戦前から多くの人が子宝祈願に訪れた子宝岩(イシイリー)も破壊された。現在の子宝岩(7)は豊見城市が復元したものだ。
瀬長島を訪れた際には、島の歴史にも思いをはせてみてはどうだろうか。
(2018年8月19日 琉球新報掲載)