ドキドキの「野焼き」を体験!【島ネタCHOSA班】


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7月11日付の島ネタCHOSA班では調査員さんが土器作りに挑戦していましたね。記事の中では、野焼きや土器を使った調理のことも書かれていました。その様子もぜひ見てみたいです!

(浦添市 タピ活古代人)

続編のリクエストありがとうございます! ご依頼の通り、7月11日付の記事では、沖縄市立郷土博物館にて調査員が土器作りを体験しました。この時体験したのは、沖縄独特の「荻堂式土器」を成形するまで。この先の工程には調査員も興味がありました。調査第2弾行ってみましょー!

野焼きは夏場に決行

この日野焼きをするために作られた土器たち
比嘉さんが成形した市来式土器(焼成前)

前回も登場いただいた学芸員の川副裕一郎さんに連絡したところ、8月下旬に博物館の関係者や研究者が集まり野焼きをする場に立ち会わせてもらうことに。恩納村博物館の屋外スペースで特別に許可を取って行うそうです。

野焼き当日の朝。現場に調査員が到着すると、関係者の皆さんが大量に薪を集めているところでした。なかなか大掛かりなものになりそうですが、8月の猛暑日の中、火をたくってハードすぎませんか…。気になって川副さんに尋ねると、「縄文土器は天候の安定した夏場にしか作れなかったでしょう」という答えが返ってきました。

野焼きする土器を並べていく様子。あらかじめたき火をし、熱してある地面に並べるので、手早い作業が必要です

土から成形した土器を保管する場所が無かったと考えらえる縄文時代。雨が降れば土器が文字通り土に帰ってしまうリスクがありました。そのため土器は、夏場の晴天日にまとめて制作されていたと考えられているようです。

土器を並べ終わったら、周囲に燃料となる材木を組んでいきます

30度を超える猛暑の中、野焼きが行われる様子

そうこう話していると、野焼きの準備が完了。火の周りに関係者の方々が成形した土器数十点が集められました。前回調査員が制作した荻堂式土器以外にも、「ヤブチ式」や「仲泊式」、「市来(いちき)式」など県内で出土する独特な形状の土器が見受けられます。

川副さんが開始の合図をすると、関係者の方々が、手早く火の中に土器を配置。周囲を薪で囲むとついに野焼き本番です。盛大に燃え上がる火の中で土器たちを焼成させます。…ものすごく熱い! 

焼成中の土器の様子。内部の温度は1000度近くになるそう
野焼き終盤、ほとんどの薪が燃えつきると、焼成された土器が顔を出します

謎を少しずつ明らかに

比嘉賀盛さん

土器の焼成を待つ間、1970年から土器の再現をしてきた研究者、比嘉賀盛さんにお話を伺いました。県内各地で出土する土器(多くの場合破片)を確認し、土の種類と配合、成形の方法、野焼きの状況を検討、さらにその使用方法にも推察を行っている比嘉さん。自身が再現した土器は資料として各地の博物館などに展示されていますが「分からないことの方が圧倒的に多いんです」と率直に話します。長年研究を重ねた方にもそう言わしめるところに、太古の暮らしを知ることの困難さが伝わります。

野焼きしていた土器は、1時間ほどで薪の中から姿を現しました。全て元の土色から赤褐色に変化しています。土器を軽く叩いた時の音も、焼成後は「コンコン」と高音ぎみに。途中で割れてしまう場合も多いのですが、失敗したものも縄文時代の技術を知るための手がかりとなるそうです。とはいえ完全な形で土器が焼きあがると、関係者の皆さんはとてもうれしい様子。この日に合わせ、比嘉さんが成形した市来式土器が割れずに焼成されているのが分かった際には、喜びの声が上がりました。

焼きあがった土器を前にほっとした表情を見せる川副裕一郎さん(左から2人目)と関係者の皆さん
前回の取材時に調査員が成形した荻堂式土器も野焼きさせてもらいました。なんと見事に焼成成功!

縄文土器を使用して川副さんが再現した縄文時代の雑炊。五穀米や豚肉(当時はイノシシだったはず)が入っています

この日は野焼きの傍らで、土器を使った調理も実践されました。アサリを水で煮ただけの貝汁に、川副さん考案の雑炊。どちらも素朴な味ですが、縄文時代の食べ物のありがたみが分かるような気がします。縄文土器の再現には五感をフルに生かすことが重要な要素なのですね。

沖縄市立郷土博物館で今月25日から開催の企画展には、今回野焼きされた土器も展示予定です。皆さんぜひ足をお運びください。

(2019年10月3日 週刊レキオ掲載)