約2000年前の沖縄?! 貝塚時代後期を知る【島ネタCHOSA班】


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レキオ2000号にちなんだ今回は、沖縄の2000年前の姿を知ってみたいと思います。約2000年前~1100年ごろまで続いた、沖縄独自の時代区分「貝塚時代後期」について調べました。うるま市内の遺跡や遺物からはるか昔の暮らしに迫りますよ。

2000年前の沖縄、皆さんは想像できますか? 調査員はまず、県内の埋蔵文化財に関する資料をいくつかめくってみました。すると、現在のうるま市の範囲には、2000年前を含む貝塚時代後期の遺跡が多いことが判明。この時代について深めてみましょう!

狩猟採集が中心

うるま市教育委員会文化財課グスク整備係係長 横尾昌樹さん

調査員がやってきたのは、うるま市立与那城歴史民俗資料館。教育委員会文化財課の横尾昌樹さんにお話を聞くことができました。

だいたい2000年前の沖縄を知りたい、という調査員に少し困ったような横尾さん。「具体的に説明するのは難しいのですが…」と前置きして、貝塚時代後期について教えてくれました。

7000年前~1100年ごろとされる貝塚時代は、沖縄独自の時代区分です。約2000年前から始まる後期は、日本本土だと弥生時代~平安時代に当たります。考古学では、沖縄島とその周辺離島には、本土と同じ時代区分が適用されません。主な理由は、稲作に代表される農耕をせず、狩猟採集を基本とした生活を続けていたからです。

発掘調査した遺跡を、貝塚時代後期のものと判断する特徴は、①集落跡が海岸線に沿うようにある。②交易品となる貝殻を集めた「貝集積」と呼ばれる遺構がある。③「アカジャンガー式土器」などこの時代特有の遺物が見つかる。大まかなポイントを横尾さんが教えてくれました。

貝殻を使った装飾品のかけら。貝塚時代の交易において、沖縄から輸出されたのは装飾品の材料となる、イモガイなどの貝殻でした

弥生人と交易

宇堅貝塚から出土した弥生土器のかけら

うるま市内の貝塚時代後期の遺跡としては、宇堅貝塚、アカジャンガー貝塚、具志川グスク崖下遺跡、津堅貝塚、平敷屋トウバル遺跡など。また、世界遺産・勝連城の城郭内からも、発掘調査によって貝塚時代後期の土器が見つかっています。

宇堅貝塚からは、ガラス製のビーズ、鉄斧、銅鏡のかけらなどが発掘されました。いずれも当時の沖縄では製造できなかった品々。九州の人々と交易をしていた証拠になるそうです。「弥生土器」まで発掘されています。弥生時代と貝塚時代、異なる文化を持った人々が海を越えて交易をしていたなんて、ロマンがありますね。

市内に貝塚時代後期の遺跡が多い理由として、横尾さんは金武湾の地形に着目しています。「絶好の漁場があり、交易にも適している。弥生人にとっても目指しやすい場所だったかもしれません」。そう仮説を話してくれました。

今回お伝えできた貝塚時代後期の謎と魅力はごくわずか。うるま市内には、発掘調査の結果を展示している施設があります。足を運んで、はるか昔の人々に思いをはせてみませんか。

九州の弥生土器の影響を受けて作られた土器
九州の弥生文化で作られたとされるガラス製のビーズ

うるま市内で貝塚時代に関する展示が見れる場所

うるま市立与那城歴史民俗資料館

うるま市与那城中央1
TEL 098-978-3149

あまわりパーク歴史文化施設

うるま市勝連南風原3807-2
TEL 098-978-2033
 

(2023年9月7日 週刊レキオ掲載)