先日、私が子どもの時に通っていた習字教室の先生がお亡くなりになりました。養護学校(現特別支援学校)に通っていた私にとって、習い事は地域の友だちとふれあえる大切な場所でした。悲しみとともに、感謝の気持ちでいっぱいになり、ご冥福をお祈りします。
その習い事の送迎は、私の親だけでなく、祖父母や姉、友だち、近所の方々など、たくさんの人に助けてもらっていました。もちろん骨折して、しばらくお休みすることもよくありましたが、元気になったらまた通えばいいだけで、体の弱い私の居場所はあちらこちらにありました。
最近は障害のある子どものために、特別支援教室や、療育、デイケアなどさまざまな制度が整ってきました。居場所があるのはありがたいのですが、でもそれは「分けることが当たり前」にもつながっているのではないでしょうか。「障害があるのだから、特別なサポート受けることがいい」と思っていませんか? もちろん専門的なサポートが必要な時もあります。でも誰だって分けられるのは嫌なのです。みんなと一緒がいいのです。障害があっても、道を歩いて登校し、帰りは友だちと寄り道が楽しいのです。
車や送迎バスで送ってもらうのは、安全で早いかもしれませんが、楽しみがないのです。さらに送迎バスだけを利用することで、バスが通らないところには行くことができなくなってしまいます。普通の子どものように、道を歩きながら蚊に刺され、季節の花を見つけ、時には遅刻して怒られる。そんな当たり前のことを障害のある子どももしていきたいのです。
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どうしても子どもたちを分けないといけない時、大人は「本当は一緒がいいよね。方法がわからなくてごめんね」と障害のある子にも、ない子にも、謝ってもらいたいです。分けることはみんなにとって良くないからです。
ピアノや習字、そろばんなどの教室、学習塾を開いている方、ぜひ障害のある子どもを受け入れてみませんか? 階段があるから、トイレが使いにくいから、何か問題が起きたら困るから、など躊躇(ちゅうちょ)することもあるかもしれません。でも少しの調整や心掛けで解決できることもたくさんあります。誰にとっても使いやすい完璧な場所など、世界中のどこを探したってありません。お互いができる範囲で、工夫、改善し、子どもの居場所を築いていきませんか。いろいろな子どもに囲まれ、あなたの毎日もより楽しく、豊かになりますよ。
(次回は12月4日に掲載します)
伊是名夏子
いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。
(2017年11月20日 琉球新報掲載)