私のパスポートの最後のページには、8つの緑色のスタンプがきれいに並んで押されている。モンゴルの出入国の履歴を印したものだ。これを見ると彼の地をこれまでに4回訪ねたということが一目でわかる。イミグレーションの係官が彼らのルールとしてそうしているのか、単なる偶然なのか、それとも国民性か。ウランバートルの空港を出入りする時には、まるでポイントカードのスタンプがたまっていくような楽しげな気分がよぎっていく。
毎年7月にウランバートル郊外のガチュート村で開催される「PLAYTIME FESTIVAL(プレイタイム・フェスティバル)」に通い始めたのは2015年のことだ。この年の春、北京の音楽カンファレンスで、創設者でディレクターのNatsagdorj Tserendorj(ナツァドルジ・ツェレンドルジ・通称ジョージ)と知り合ったことがきっかけだった。立ち話をしていた時には、モンゴルで大規模な音楽フェスティバルが行われること自体想像もつかなかった。ただ「素晴らしい草原のロケーションでの最高の音楽フェスティバル」というジョージの言葉を聞いて、飛行機に乗ったのだ。
初めてのモンゴルで右も左もわからないまま、地元の観客が使うウランバートルの中心部から会場までの無料シャトルバスで会場に向かった。バスが街を離れると美しい草原が広がる。カラフルにペイントされた住宅が並ぶエリアや、遊牧民の住居「ゲル」が集落を作る村を通り過ぎた。道沿いでは多くの放し飼いの牛が草を食んでいた。
フェスの会場はホテル・モンゴリアというリゾートの裏庭に広がる草原。すぐそばには美しい川が流れ、ホテルの反対側には道路を挟んでフェスティバルの会場を見渡せる小高い丘があった。
2015年から2019年間まで、4度のモンゴル訪問で、観光地らしい場所には一度も行ったことがない。基本、ホテルとフェス会場を往復するだけだ。そんな風に定点観測のように街を眺めていると、通りの風景や空気感が年々変わっていくことが手に取るようにわかる。
道路は良くなっていて、市街地も広がっている。中心地には大型のショッピングモールが建ち、人々の表情は明るい。それなりに美味しいレストランも増えてきた。どこにでもあるアジアの大都市の風景が出来上がりつつあるように感じる。その背景には豊かな天然資源を求める、海外からの投資があるらしい。しかしインフラの整備は追いついておらず、交通渋滞の酷さはバンコクやジャカルタより深刻に感じられる。
2015年の「PLAYTIME FESTIVAL」には、おそらく外国からの客はほとんどいなかった。会場に着くとそのまま関係者用のテントに招かれて、昼間だというのに、程なくウォッカ・セレモニーが始まった。ジョージが先頭を切って、モンゴル自慢のウォッカをグラスに注ぎ、集まったミュージシャンや関係者に振舞って、それぞれの距離が縮まっていく。こうした毎年の恒例行事をくぐり抜けて、少しずつモンゴルの友人も増えてきた。
「PLAYTIME FESTIVAL」は、年々少しずつ規模が大きくなっている。現在はメインステージのほかに、EDMやアコースティックミュージック、トークイベントを行うテントなどがあり、周りをキャンプサイトが囲む。モンゴル中の洒落た若者が集まるような、感度の高いイベント・スポットとして人気が高まっているようだ。
「今年もチケットが売り切れたんだ」。昨年訪ねた時、ジョージは嬉しそうに話した。チケットセールスは年を追うごとに増えているとのこと。ウォッカが進むわけである。
2016年、那覇で開催した音楽カンファレンス「Trans Asia Music Meeting」に登壇者としてジョージを招いた。その時のショーケースライブで彼の目に止まった沖縄のバンド、the youは、その年の「PLAYTIME FESTIVAL」のラインナップに加わった。桜坂セントラルから「すごく、いいバンドを見つけた!」と興奮気味に話していたジョージの姿は今も印象に残っている。こうした出会いを一つでも多く生み出すことが、自分の役割でもあると考えている。
the youは、翌年2017年もモンゴルに招かれた。ジョージは来年(2021年)、「PLAYTIME FESTIVAL」の20周年にまた彼らを招きたいと話している。果たして実現するのか。
フェスティバルに出演するバンドのラインナップは、地元モンゴルのバンドが約6割で、残りが海外のバンドだ。モンゴルからはThe LemonsやThe Colors、NISVANIS、Magnoliansといった国民的な人気バンドを軸に、新旧の実力派が出演する。The LemonsやMagnoliansは、モンゴルに通ううちにお気に入りになった。海外からは欧米とアジアのバンドがバランス良くブッキングされている。2019年は台湾の人気バンドSunsetroller Coasterが出演して話題になった。モンゴルのオーディエンスは、海外のバンドの音源もストリーミングでチェックしていて、ライブの盛り上がりは熱狂的だ。その音楽との向きあい方は感動的ですらある。
昨年はラ・ビアン・ローズと名付けられたトークやアコースティックのイベントを行うテントで初めて企画されたパネル・ディスカッションに招かれた。テーマは「CREATIVE INDUSTRY AND URBAN DEVELOPMENT(クリエイティブ産業と都市開発)」。地元のメディア・アート・フェスティバルとのコラボレーションということだった。
フェスティバルのキュレイターがコーディネートして、地元のファッション・デザイナーやフランス人のアート関係者らと登壇した。モンゴル語で進行される会の内容はよくわからなかったが、私が尋ねられた問いは、「日本、沖縄における行政の文化サポートについて」。モンゴルでは行政が文化やエンターテインメントに予算を使うことは非常に限られているとのことで、日本や沖縄での例を紹介して欲しいとのことだった。モンゴルではクリエイティブ産業の様々な分野で、多くの新しい世代が活躍を始めているということで、その前向きな意欲、エネルギーがビビッドに伝わってきた。
昨年、韓国の友人の大学教授は、北京から電車でウランバートルまでやってきたと話していた。さらに「PLAYTIME FESTIVAL」の後には、ロシアのウラン・ウデという街のフェスに向かうとのこと。また一昨年、ロシアのウラジオストクから来たバンドは、「ここまで車で来たんだ」と、当たり前のことのように話していた。「少々時間はかかるけど、安上がりで楽器などの荷物もたくさん運べる」らしい。島国暮らしでは、なかなか思いつかないアイデアだが、海がない国だから陸路を行くということは、ごく当然の選択肢なのだ。
今、世界中で感染を広げているコロナウイルスが去って、もしも来年、20年目のPLAYTIME FESTIVALを訪ねることができることになれば、北京からモスクワ行きの電車に乗ってみるのもいいかもしれない。その時、国境ではパスポートの最後のページに9つ目のスタンプを押してくれるだろうか。
♢PLAYTIME FESTIVALのサイト(英語)
http://playtime.mn/en/
【筆者プロフィール】
野田隆司(のだ・りゅうじ)
桜坂劇場プロデューサー、ライター。
1965年、長崎県・佐世保市生まれ。
「Sakurazaka ASYLUM」はじめ、毎年50本以上のライブイベントを企画。
2015年、音楽レーベル「Music from Okinawa」始動。
高良結香マネージャー。