沖縄県のサブカルチャーの発信拠点となっているライブハウスが那覇市安里にある。その名はG-Shelter。
バンドに限らず、アイドルによるライブや、ロックやアニメソングなどオリジナリティーあふれる多様な音楽ジャンルのDJイベント、トークショーや映画上映会など、スタッフが「面白い」と思う事を企画として次々に仕掛けている。
また、県外からのアーティストの誘致にも積極的で、ブレイク間近の若手アーティストが続々とそのステージを踏んでいる。
ライブハウスという型にはまらず独自のスタイルで沖縄の音楽シーンを支える店長、黒澤佳朗さんに、G-Shelterの魅力の秘密を聞いた!
―まず最初に、県内いろんなライブハウスがあると思うんですが、その中でもG-Shelterならではの特色や力を入れている点などありますか?
黒澤 この場所の成り立ちからして、僕はG-Shelterをライブハウスだとは思っていないんです。僕自身、元々音楽もジャズが好きで、ライブハウスという存在がいまいち分からなかったので(笑)。
2004年にG-shelterを作ったのですが、その当時は大学のサークルの仲間同士でお金を出し合って、皆で使う共同スペースという形で始めたのが元々の場のきっかけです。それがだんだんとアートの展示会や、ジャスバンドのセッション、映画上映会など、遊びの延長でやっていくうちに、「このスペースをお店として活用したら面白いんじゃないか?」という意見が周りから出てきて、だんだんライブハウスのようになっていったというのがG-Shelterの成り立ちです。なので、今も当時の流れを汲んでいて、ライブだけではなく映画上映会やトークショーなども行っています。そこが他のライブハウスと違う特色ですかね。
―僕個人的に思っていることなんですが、G-Shelterは先見の明があるというか、県外からブレイク直前のバンドを頻繁に呼んでいる印象があるのですが、そういうつながりはどこから生まれてきたんですか?
黒澤 385※1 のミヤさんと一緒にバンドをやらせてもらっていた時期があって。そこから、ミヤさんの紹介でN’夙川BOYS※2 のマーヤさんと仲良くなったのがきっかけとしてあります。
マーヤさんの考え方として「自分が面白いと思っているものを人に伝えたい、紹介したい」という気持ちがすごく強い人で。そこから毎年一緒に沖縄で企画をやって行く中で、いろんなアーティストとつながっていきました。僕自身も昨年まで我如古ファンクラブというバンドをしていたんですが、そのバンドでもライブで県外へ行く中で、県外のバンドと関係性ができていったっていう感じです。
その中で気づいた事があるんですけど、僕が「面白い」って思っている人たちって巡り巡って、仲良くなって知り合ったりするんですよ。なので、すげぇ世界は狭いなっていつも思っています(笑)。
そんな彼らのおかげで、最近はG-Shelterもライブハウスとして認知されてきていると感じています。今までは個人的なつながりでライブ企画などを行ってきたんですけど、一般の方から「場所を使わせてほしい、貸してほしい」といった連絡が、今では多くなってきました。
また先ほど「先見の明がある」っておっしゃっていましたけど、そんなつもりは本当無いんですよ。単純にご縁がつながっていったっていう事と、面白いと思っていた人と一緒に何かやりたいっていう気持ちだけでやってきたので(笑)。「この人たち売れるかもしれないから呼ぼう!」なんていう気持ちは本当無いですね。逆に売れちゃっていたら、ここでやってもらっても申し訳ない(笑)。だから、いつも有名なバンドが来た時には「申し訳ねぇなぁー」と思っています(笑)。でも、本人たちがここでやりたいって言って来てくれるのは、本当に有り難いことなんですけどね。
―1年間通していろんなアーティストのライブをこの場所で見ていると思うんですが、黒澤さんが最近面白いなと思う県内のアーティストを教えてもらってもいいですか。
黒澤 個人的にあんまり「売れそうだな」とか深く考えたりしないんですけど、売れてほしいって思ったら力になりたくて行動しちゃうんです。最近そんな気持ちにさせてくれた県内のアーティストは、「非の打ち所」、「HARAHELLS」と「MCウクダダとMC i know」の3組にものすごく伸びしろを感じています。彼らの活動はG-Shelterとしてもバックアップできればと思っております。
―沖縄の音楽シーンについて思っていることはありますか?
黒澤 沖縄のバンドって、東京などに比べると「こうなりたい!」っていうバンドの具体的なイメージを持ちながら活動している人たちって少ないと思うんです。
僕の経験談として伝えたいことがありまして。去年まで我如古ファンクラブというバンドをやっていて、ありがたいことに当時東京の音楽関係者の方たちから良い評価をいただいていました。そういう良い状況の中、本腰を入れて活動をしていたのですが、県内で活動していく中であまり何も実らず時間だけが経っていってしまって。
そこであえて無理だと思うけど、踏ん切りが付く最終目標として「メジャーデビューできなければ解散」という目標を掲げ、半年という限られた時間で達成できるか挑戦しました。
バンドがメジャーデビューするための具体的な流れというのがありまして。例えば、分かりやすい指標でいうと、「渋谷QUATTRO」というライブハウスを満員にすると、メジャーデビューっていう流れがあるんです。そのためにはバンドに事務所が付いて、イベント制作まで請け負った形で、という前提はあるんですけれども。そういう流れを自作自演でどこまでできるかという気持ちを持って取り組んでみました。
スケジュールの関係で「渋谷QUATTRO」は押さえられず、同規模の「代官山UNIT」というライブハウスを借りてチャレンジしました。結果としては満杯にはできず、制限期間ぎりぎりまで、メジャーデビューの誘いを待ちました。でも、期限までに誘いは無く、そのまま解散という結果になってしまいました。
話を戻すと、沖縄にはQUATTROのような「皆が目指す場所」というのがありません。だからこそ、具体的なイメージを持って活動してほしいなと思っています。僕らがそうやっていたのも、沖縄の現状に対して、もっとこうしてもいいんじゃないのという意味も込めてやっていました。
デビューしたところでたいして意味なんか無いのですが、でも本腰入れてバンドやりたいって思っているんだったら、やり方を考えてみたりとか、少し真面目になったりしてもいいんじゃないかなとは思います。
―ライブハウス自体も手作りで作られたという所からも垣間見えるG-Shelterの代名詞であるDIY(Do It Your Self)についてのこだわりについて教えて下さい。
黒澤 僕の性根の部分に「DIY」※3 という言葉はあります。例えば「こうしたい」っていうイメージがあったとして、一番手っ取り早いのは自分で作ることじゃないですか。だから、手作りしているっていうだけなんだけど(笑)。
僕は元々建築の仕事をやっていて。建築は人からの依頼で図面を書いて、それを現場に投げて作ってもらって、形になるっていう流れなんですけど。僕は、非常にこの工程が気にいらなくて(笑)。
建築士は、基本的に依頼人の「こういうふうに作りたい」っていうのに従わざるをえないんです。そしてそれをまた違う人に作ってもらうっていう時点で完全に気持ちは離れるんですよ。物作りが好きで、物作りの仕事をしていたのに、全然面白くないと思って、3年で辞めたんです。
その後、始めたのはテレビの仕事。テレビ番組の企画って即物的じゃないですか。建築と違って、一瞬で生まれて一瞬で消えていく。それはそれでものすごく寂しいんですね(笑)。
ライブもテレビ番組みたいなもので、一瞬で過ぎ去っていくんですけど、ライブハウスという空間には「蓄積」されていくじゃないですか。一から自分の手で作った空間で、いつも行われていく自分の好きな事。それがずっと更新され続けて場に蓄積されていく。それがものすごく性に合っているんですね。人に作ってもらったものじゃなく自分で作ったところに、自分の好きな人たちを呼んでいるので、それがものすごく楽しいです。
―最後にこれからやりたいこと、企んでいることなどありますか?
黒澤 去年までバンドをやっていた時は、ライブハウス運営とバンドを両立させるのってすごく大変で。当初やりたかったことができなかった、やろうとしていたことが止まっていた期間が長くなっちゃって。そんな気持ちと裏腹に、G-Shelterはライブハウスとしての需要が上がっていっちゃって。映画や美術系やサブカルチャー全般のこととか、僕がルーツとして考えているいろんな表現というやつを、改めて掘り下げて発表できる場にしていきたいなって考えています。今はまさにそれをやっている期間って感じですかね。
※1…2008年、MIYA(B,Vo)を中心に沖縄で結成。2009年、東京に上陸。ジャンルレスな音を掻き鳴らし、破壊的なデス声とチョッパー、鋭いリズムと踊り狂う旋律が重なり合い「わけのわからない」音楽性を武器にステージで見るものを魅了する、ハードコアファンクバンド。
※2…2007年結成。POPでキャッチーな楽曲、楽器をとっかえひっかえの演奏スタイル、デュエットソングの常識をはみ出しまくる男女掛け合いボーカルといった独自のLOVEスタイルでロックンロールを現代に甦らせる。映画「モテキ」にも出演。2015年、無期限の活動休止を発表。
※3…専門業者でない人が自身で何かを作ったり、修繕したりすること。
【プロフィル】
黒澤 佳朗 1979年生まれ。埼玉県出身。琉球大学進学のため、1999年より沖縄に移り住む。大学卒業直後に、仲間と共に宜野湾市我如古でG-Shelterを始める。建築設計関係やテレビ関係で働いた後、独立。現在は、G-Shelterの管理人として、日々イベント企画に携わっている。
聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)
音楽と湯の町別府と川崎フロンターレを愛する92年生。18歳からロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作っている人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。沖縄市比屋根出身。