沖縄のさまざまな街を、カメラを手にほろほろ(ぶらぶらと)歩く。第1回は那覇市の太平通り、えびす通りを記者がほろほろ。
再開発が進み、近代的な建物が姿を現し始めた農連市場の向かい側、昔ながらのアーケード街がある。太平(たいへい)通り商店街だ。天ぷら屋さんや八百屋さんなどが並び、地元の家族連れや観光客が訪れる。近くのえびす通りでは夜市が開かれ、新たに開店する店も多い。古き良きうちなーと新たな息吹が混在する。
古くて 新しくて かわいくて
開南側から太平通りに入ると、分厚いふわふわ衣のうちなー天ぷらが並ぶ「上原パーラー」がある。その向かいには外国産のチョコレートや昔懐かしい駄菓子が、段ボール箱にぎっしり並ぶ「お菓子の店 一萬家 1 」。
店の奥に、浜崎あゆみをほうふつとさせるサングラスにハイヒール模様の服を着たおしゃれマダムが。名前は上原トヨコさん(81)。店は復帰前から営業しているという。夫が手作りでこしらえたという店内の棚が、何とも言えない味わい。
「おしゃれの極意は」の質問に、トヨコさんは「へへへ」とはにかんだ後、きりっと表情を変え「女だから楽しく」。あっぱれ。
感嘆していると、トヨコさんの前にぶらさがる何かが目に飛び込む。オブジェかと見まごうが、なぜかめがねが少なくとも四つ、鍵もある。よく見ると奥にもビニール袋がいくつか。客の「忘れ物」なのだそうだ。「台湾の人が半年後に取りに来たこともあるよー」とトヨコさん。ほこりまみれのメガネも、いつか持ち主が現れるのだろうか…。
アームさんのいざない
通りを奥に数歩行くと、ピンク地に花柄の看板に「アームさん 2 」の文字。乙女がうっとりした表情で頬づえをついている。「アームさんって何だろう。腕かな」。そう考えながら記者が戸を開けると、カウンターだけの狭い店内いっぱいのマダムたちが一斉に記者を見て「あい、この子ひもじいんじゃない?」「食べ物はないよ。飲み物だけよ」としゃべりだした。
にぎやかなカウンターの奥で笑顔を見せるのは、店主の宮城百合子さん(62)。母と共に切り盛りする。店は250円でコーヒーと紅茶が3杯まで飲めるという不思議なシステム。コーヒーの店だが人気はお茶。ドクダミ茶、黒豆茶など健康的なお茶がずらり。宮城さんは「おじい、おばあの憩いの場よ」とほほえんだ。
そうそう、「アームさん」って何?
「祖父母が大宜味出身なんですけど、大宜味では母親を『アンムー』と言うんですよ」と宮城さん。「でもほら若い子は『アンムー』じゃなくて『アーム』って伸ばすでしょ。だから『アーム』なんだけど」。もらった名刺の店名は「アムさん」になっていた。
おにぎりと寛容のココロと
太平通りから数十歩ほど行き、サンライズなは商店街を越えると「えびす通り」の看板が見える。なは市場振興会の新里俊一理事長(「恵比寿珈琲 3 」店主)にあいさつした記者たちの前を、先日他界した女優の北島角子さんを思わせる女性が横切った。
和装にハット、ふろしき包み二つを抱えて胸に「おにぎり」のたすき。突っ込みどころがありすぎるその人は賀数愛子さん(62)。近くの新天地市場本通りで飲食店「真屋(まことや) 4 」を営む。毎日お昼前、周辺の店舗で働く人たちに作りたてのおにぎりを売って歩いているのだそう。
「おいしそう、三つもらえますか」。記者が言うと恵比寿珈琲のカウンター席で風呂敷を広げる賀数さん。
新里さんは「普通、人の飲食店で商売しないでしょう。でもこれが牧志の魅力、寛容さだよ」と誇らしげに語る。
日曜日の夕暮れは「えびす夜市」がにぎわう。ラーメンやから揚げ、泡盛から全国各地の日本酒、射的の店まで。通りを屋台が埋める。観光客や若者が入り乱れ、東南アジアの屋台街のような熱気だ。
その一角で背中を丸めてせっせと絵を描いているイラストレーターのプリッキー山田さん。こけしのような似顔絵風人形「人間人形」をその場で描いてくれた。
愛嬌(あいきょう)があり力の抜けたタッチに負けず、ご本人のキャラクターも味がある。北海道出身のプリッキーさん。「路上で絵を描きながら『寒い寒い』言っていたら沖縄に来ていた」。
キャッチコピーの「つよくても よわくても 人間人形」に特に意味はないそうだ。記者たちはそれぞれの人間人形を手に、どこか夢見心地で市場を後にした。
通りの名は。 太平? 大平?
サンライズなは商店街と交差する太平通りの入り口で、頭上のアーケードを見上げると「太平通り」と書いてある。しかし反対の開南側のアーケードには「大平通り」と大書されている。「太平」「大平」、どっちなのだろうか。
那覇市なはまちなか振興課の担当者は「主に『太平通り』と表記されるが『大』の字が使われることもあり、経緯はよく分からない」と話す。なるほど、市のホームページをサイト内検索すると、出てくる行政文書はほとんど「太平通り」だ。太平通り商店街の黒島良規会長(黒島商店 6 代表)は「正しくは太平通り。アーケードは『太』の字から点が落ちたのかもしれません」と話した。
一方、通りで終戦直後から店を開く高良商事支店 5 の高良亀吉さん(82)の名刺には「大平通り」とある。亀吉さんに聞くと「どっちでもいいんですよ」と笑う。「もともとは大平通りと命名されたけど、名付けた人はもう亡くなっている。役所の人が最初に記録した時に『太平通り』としたのかもしれない。でも今まで誰も文句を言わなかったんだから」と語る。
もともとは「大平通り」、正式には「太平通り」ということか。通りの名称にこだわらない高良さんの笑顔は「細かいことより、お客さんが来ることが大事」と言っているようだった。
(2017年6月4日 琉球新報掲載)