新たなムーブメントやうわさの人物、地域の話題。記者が行ってみた、聞いてみた、やってみた。
宮古島地方で地域の交通安全を見守り、観光客のお目当てにもなっている宮古島まもる君。彼とそっくりな“兄弟”が、全国各地にいる? さっそく調べてみた。
こんなところで…
「こんなところでまもる君に会えるなんて。ものすごい縁を感じたし、励まされた気がした」。2011年10月、東日本大震災の復興支援のため岩手県気仙郡住田町を訪れていた山田光さん(42)=宮古島市、イラストレーター=が発見したのは、宮古島で見慣れたまもる君だった。
「バッシャバッシャうれしそうに写真を撮る私の姿を、通りすがりの方はものすごくいぶかしげに見ていました」と振り返る。
提供してもらった写真には、白い顔に「へ」の字の赤い口。警察官の黒い制服姿で宙を見詰めるさまは、まさに宮古島まもる君だ。背後の建物には「世田米駐在所」と書いてある。まもる君は岩手県でも地域の安全を見守っていたのか。
隣にはランドセルを背負って右手を上げ、横断歩道を渡ろうとしているような女の子も。親子だろうか。それにしても女の子の口の周り、赤い色が痛々しい。駐在所前だというのに、鼻血を流すほどの“傷害事件”に遭ったのだろうか。
山田さんは「鼻血、確かに気になりますね。でも逆にまもる君とセットでシュールな感じが私は好きです」と話す。「道端で見覚えのある顔を見つけた時は思わず二度見して、すぐにUターンしました」「岩手県陸前高田市から住田町に入る辺りの工場の横にもぽつんと1体、ありました」と言う。
ルーツは信州?
2体の“岩手まもる君”について岩手県警に問い合わせると「世田米駐在所連絡協議会」を紹介してくれた。遠藤ヤエ子会長(85)は「『警察官人形』は1998年ごろに買いました。1体8万円ぐらい」と話す。彼は宮古島から来たのか聞くと「長野県だったと思う」との答え。「女の子の人形も長野からだったと思う。横断歩道を通って学校に通う子どもたちのため、横断用の旗を持たせている。私は物好きだからね。一生懸命しました。地域の人も大切にしてくれていますよ」と柔和な声で語った。
「沖縄で彼にそっくりな宮古島まもる君が、地元の人々や観光客に親しまれています」と言うと、遠藤さんは「まもる君ってのは、いい名前だね。全国に仲間がいていいことだね。住田町に来ることがあったら、こっちのもぜひ見てくださいね」と話した。
まもる君の“古里”について、宮古島地区交通安全協会の砂川米子事務局長(59)に聞いてみた。「91年ごろ、長野県の会社から5体取り寄せた。カタカナで『マツサン』とかだったような…。交通安全グッズを販売していたが、つぶれたと聞いている」と記憶をたどってくれた。当時は交通事故が多発し、対策が求められていたそうだ。「最初は『警察官型人形』と呼んでいたが、住民から自然発生的に『まもる君』と呼ばれるようになった」と明かしてくれた。
“岩手まもる君”の写真を見せると、砂川さんは「他県にもあるだろうと思っていたから驚きはない。全国的にも数は少ないだろうけど、田舎の方に行けばあるんじゃないか」と話した。
まだまだいるぞ
まもる君の古里は長野県、生家は交通安全グッズを販売していた企業らしいことが分かった。
岩手県以外でまもる君がいそうな「田舎の方」って、どこだろうか。「宮古島まもる君パーフェクトガイド」(あどびず発行)の著者、モリヤダイスケさんによると「秋田や広島、四国方面など、かなりの数、同型はありました。金型の違うタイプはもっとたくさんあります」という。ちなみにモリヤさん、実際に見て来たわけではなく、インターネットで画像検索とグーグルストリートビューを駆使し、時間をかけて探したのだそうだ。
記者も検索をしてみると北海道白老町や長野県飯田市に生き写しの“兄弟”とみられる画像が出てきた。「各地のまもる君を結んで宮古島から発信したら、もう1回ムーブメントが起きそうな気はしています」とモリヤさん。
“兄弟”が宮古島に集結して「全国まもる君サミット」が開かれれば安全への関心もさらに高まるのではないか。そっくり過ぎて、取り違えでもあったら大変だと心配になる記者だった。
まもる君はこんな人
宮古島まもる君は1991年、宮古島地区交通安全協会が同地区に設置した。98年に10体が増員されたが台風によって“殉職”し、数を減らしたこともあった。現在は19体(宮古島17体、伊良部島1体、多良間島1体)を同協会が修繕するなどして、大切に管理している。島随一の観光地、東平安名崎でも勤務し、観光客の話題になっている。
2016年2月には宮古島市平良下里の交差点で立ち番勤務中のまもる君が交通事故に巻き込まれ、足首切断の“大けが”を負った。約2カ月で全快し、復職している。