沖縄のヒップホップシーンの勢いが止まらない。2018年にとりわけ要注目なのがヒップホップ集団『604』だ。ゆるやかに繋がる大人数のメンバーを率いるのはMAVELとMuKuRo。2人がラップに出会ったきっかけや、ラッパーから見た沖縄ヒップホップシーンの現状を聞いた。何者でもなかった2人が飛躍するきっかけを作ったヒップホップシーンのキーパーソン、唾奇(つばき)からも目が外せない。リアルな生きざまをヒップホップで表現する彼らの哲学に迫った。
◇聞き手・野添侑麻(イベンター)
ヒップホップを歌うための「リアル」とは
―では、手始めに2人の自己紹介をお願いします。
MAVEL
「MAVELと申します。27歳です。那覇を拠点にラップを歌っております」
MuKuRo
「MuKuRoって言います。MAVELの1個下で26歳です。自分も那覇を拠点に活動しています」
―2人がヒップホップに出会ったきっかけを教えてください。
MAVEL
「中学1年の時にヒップホップに出会いました。俺ん家が同級生の溜まり場になっていたんですよ。そこでアメリカのラッパー、エミネムが主演の映画『8Mile(エイトマイル)』を観て、ヒップホップに衝撃を受けました。次の日から学校でみんな円になってラップしはじめて、そこからずっとラップしています」
MuKuRo
「俺は3歳からアクターズスクールに通っていたので、80~90年代のヒップホップ、R&Bのようなブラックミュージックが生活の中で自然と流れている環境で育ったんすよ。でも日本のヒップホップは興味なくて、『いつか英語でラップできたらいいな』っていう思いだけは小さい時からありました」
―本格的に活動を始めたのは、いつからですか?
MAVEL
「中学時代の僕は不登校だったもので、沖縄ではどこの高校にも進学できなかったんですよ。そういう理由もあって、長崎県の高校に進学したんです。沖縄の仲間たちがどんどんステージデビューしていくのをネットで眺めていて、めちゃくちゃ悔しかったんです。長崎はバンドが根強い地域だったんですけど、俺もいつかラップでステージに立つ日に向けて、ヒップホップをやり続けていました」
「18歳で沖縄に戻ってきて活動しようとしたけど、考えてみたら俺にはヒップホップにとって大切な『リアル』が何一つないと痛感したんです。『守られてばかりじゃ何も歌えない』と思って国際通りの裏でホームレスとして暮らしながら、ラップで歌えることを探していました。そんな生活をしていたら、よく行っていたお店で働いていた先輩たちが『18歳でホームレスをしながらラップしてる変なやつがいる』ってことで可愛がってくれて…その人たちのおかげでヒップホップ界隈の人たちと繋がって、初ライブをすることができました」
MuKuRo
「本格的に活動を始めたのは3年前。メンバーでもある唾奇※1 とはラップを始める前からよく遊んでいたんだけど、その時も俺は日本語でラップすることに興味なくて、あいつのラップのこともバカにしていて…(笑)。でも唾奇が『じゃあ適当でいいから、ずっとやりたがっていた英語で1回だけラップしてみようよ』って言ってくれて、そのままスタジオに連れていかれたんですよ」
「俺を含めた4人で、その場で音とテーマを決めて歌詞を書いて、即録音。そして出来上がった曲を聴いたら、今までに味わったことがないくらいの衝撃が体中に走ってしまって…。自分の言葉を音にして遊ぶのがめちゃくちゃ楽しくて『俺にもラップできるじゃん!』って思って、それが活動を始めたきっかけです」
「でもそこから初ライブまで1年かかった。ステージに立つのが怖かったっていうのもあるし、遊びの俺がライブなんて、真剣にやっている他のラッパーに申し訳ないっていう思いもあった。でも唾奇に『お前いつまでビビッてんだよ』って言われて踏ん切りがついて、沖縄市にある『L-LINE』っていうミュージックバーに、飛び込みでライブしにいったのが初ステージ。それが23歳の時だね」
溜まり場「604」と唾奇の魅力
―先ほどから話にも出てくる唾奇さんも所属しているヒップホップ集団「604」。その詳細や結成秘話について教えてください。
MAVEL
「『604』っていうのは、俺らのレコーディングスタジオ兼溜まり場のことです。元々は僕が住んでいたワンルームだったんですけど、ある日、唾奇の実家が差し押さえにあっちゃって、彼の住む場所がなくなった時期があったんですよ。それであいつがレコーディング機材と一緒にうちに転がり込んできたのが、集団としての『604』の始まりですね」
「唾奇は人を惹きつける不思議な力があるんです。いろんな人が集まってくるようになって、いつの間にか仲間が集う場所になっていったんです。一時期は最大27人くらい来るようになったかな…。そこからこの部屋に集まるやつらのことを『604』と表するようになりました」
MuKuRo
「6畳の部屋に、玄関から奥まで人がびっしりで足の踏み場なんてない。人が多いから空気は悪いわ、部屋でタバコ吸うから煙もこもるわ(笑)」
MAVEL
「何でもないやつらが集まって自然と音楽を始めた、地元に友達がいない寂しがりやの集合体、それが604ですね。あ、名前の由来はその部屋が『604号室』だったっていうだけで、特に意味はないっす(笑)」
―今でもレコーディングは604で行っているんですか?
MuKuRo
「今は604だけで録ることは少なくなったかな」
MAVEL
「レコーディングできる場所が増えたっていうのもあるけど、あまりにも人の出入りが多いと近所の方に迷惑がかかるので…。今の俺の家は別にあって、604はレコーディングスタジオとして稼働しています」
―604から世に羽ばたいていったアーティストも多いと聞きました。
MAVEL
「そうですね。やっぱり一番は唾奇の存在が大きいです。彼が注目されて604に光が当たるようになったこともそうだけど、みんなの技術面の向上って意味でも彼の存在が大きいんですよ。例えば俺たちがレコーディングしていて少しでも失敗すると、あいつは後ろで『ダセぇラップすんな、下手くそ!』って言いながら爆笑するんですよ。
「悔しいんですけど、あいつが一番ラップ上手いから俺らは何も言い返せない。でも全員負けん気が強いから、そう言われないために練習を重ねていったら、みんなある程度のクオリティになっていた。『やっと唾奇に追いついた』と思ったら、あいつが先にデビューして注目されるようになって、また突き放されて努力して…(笑)。そういう意味でもあいつの存在は大きいっすね」
目指す先は世界
―2人が尊敬するアーティストはいますか?
MAVEL
「先輩ならRITTO※2さん、同世代なら唾奇とCHICO CARLITO※3。挙げたのは沖縄出身のラッパーだけど、全国各地にもやばいラッパーがたくさんいすぎて、挙げきれないです。最近一緒にいる北海道出身のHANGってラッパーが本当にカッコいいんです。彼は全国を歩いて旅をしながらライブをしているんですけど、彼からいつも刺激もらっています」
MuKuRo
「俺は、特に一目置いているっていう人はいないんだよね。というのもラッパーと名乗っているやつは全員ライバルだと思ってるし、同じく仲間だとも思っている。海外で活動しているラッパーも含めて。まぁでも、あえて挙げるならT-Pain※4とブルーノマーズ※5かな(笑)」
「これはウケ狙いでもなんでもなくて、彼らの曲を聴くたびにカッコよすぎて嫉妬するし、尊敬の念もある。ブルーノなんてグラミー賞も獲ったじゃないですか。俺も音楽やっているなら最高峰であるグラミー賞を獲りたいって本気で思っているから、ライバル視しているのはこの2人です」
「あとラッパー以外なら、2個下でSh0h(ショー)っていう日本人のヒューマンビートボクサー※6。日本大会も3連覇して、世界大会でも闘っている子。彼の音楽に対する姿勢が常に世界を見ていて共感できる部分が多いので、尊敬しています。今度一緒に曲も作ることになっているので、チェックしてほしいです」
―曲作りについて教えてください。歌詞はどのようなことを考えて書いていますか? 書きためているんですか?
MAVEL
「いや、特に何も考えていないっすね。歌詞は録音する直前に書きます。15分あれば1曲かけますね」
MuKuRo
「俺は作品によるかな。考え込んで作る歌詞もあるし、テーマによってはすぐ出来るのもある。サビの部分はどんな曲でも15分あれば作れる。でもそれに繋がるメロの部分は考え込んで作るタイプですね。でも604の連中は歌詞作るの早いよね」
MAVEL
「うん、みんなめちゃくちゃ早い!1時間あれば1曲できるんじゃないかな?」
MuKuRo
「ヒップホップはいろんなラッパーで集まって何人かで1曲を作ることがよくあるんだけど、同じテーマで1曲を書いたとしてもメンバーによって歌詞は全然違ってくる。個人のバックボーンが歌詞としてダイレクトに出るのがヒップホップだから」
―歌詞に自分の今までの人生全てを投影できるのが、ヒップホップの面白いところなんですね。
MAVEL
「良いことも、黒歴史も包み隠さず曲にできる。それがヒップホップの強みだよね」
MuKuRo
「これはなかなかポップスにはできないもんね。俺らは『愛してる~』なんて言わないからな(笑)」
MAVEL
「あまり深く考え込まないで作る分、嘘は絶対歌わないっていうのはポリシー。あとヒップホップは楽器を使わず言葉だけで出来るから作曲までのハードルが低い。だからさくっと1曲作れちゃうっていうのも面白いところ!」
ヒップホップと共にあるライフスタイル
―全国的にも沖縄のヒップホップが注目を集めています。ヒップホップを取り巻く沖縄の現状について感じることなどを聞かせてほしいです。
MuKuRo
「全員の勢いが半端じゃない。先輩、後輩、同世代に関係なくヒップホップをやっている全員が『この勢いのまま日本のてっぺんを獲りにいく』っていう目線が揃っている。そんな意識を根付かせてくれたのは、昔から活動し続けている先輩たちのおかげ」
「『沖縄のヒップホップが一番かっこいい』っていう思いで活動してきた先輩たちの積み重ねの結果、今一番いい波がきている。2016年はCHICO CARLITO、2017年は唾奇っていう沖縄出身のラッパーが全国的に注目を集めたけど、今年はさらに大きな波が押し寄せると思う」
MAVEL
「ヒップホップは正直、一般の人が思っているよりもカネの動きも含めて汚い面もある。そんな中で沖縄のヒップホップが特殊なのは、ライブで結果を出せば、上の先輩たちがしっかり目をつけてくれて音楽に関わる仕事を紹介してくれる。この島では自分が頑張って結果を出せば、ヒップホップっていう音楽で生活ができる。こんなクリーンな流れは、県外では聞いたことないし、沖縄だけだと思う」
MuKuRo
「ステージだけじゃなくて、日常の仕事も含めたライフスタイルそのものをヒップホップに組み込んで、生活していける。だから、俺らも迷わないでビビることなく音楽に全力で取り組むことができる。そして全力で取り組んだ分は返ってくる。こういう良い流れがこの小さい島の中で生まれているんだよね」
マイナス環境がプラスになった
―沖縄のヒップホップがここまで注目されている理由は、何だと思いますか?
MuKuRo
「沖縄っていう注目されやすい土地柄もあるけど、沖縄出身のラッパーがしっかりと自分の強みを持って全国で勝負できているからだと思う。初見の人でも『沖縄のラッパーだ!』って分かりやすいインパクトがある」
MAVEL
「沖縄のヒップホップシーンで揉まれていると、内地に行った時に、間違いなく良いライブができるんですよ。それには理由があって、沖縄のクラブは以前、専門の音響さんがいないことがほとんどだったんです。出音が読めない分、生半可な声量でやるとお客さんに自分の声は一切聞こえない。そうなるとラッパーたちは声量を大きく出していくようになって、声が太くなっていくんですね。そんな環境下で揉まれた後に、設備が整った県外でライブをすると声に迫力が出て、違いが出てくるんですよ」
MuKuRo
「環境が整っていなかったことが逆に良かったよね。気づけばそれが違いを生み出して、全体的なレベルアップに繋がっている」
夢幻のようなパーティー
―そんな沖縄のヒップホップシーンの全てを詰め込んだ2017年のヒップホップフェス「幻海岸」。MAVELさんが中心となって仕掛けたあのイベントは、どういう経緯で開催したのですか?
MAVEL
「幻海岸の開催はライブハウスG-Shelterのスタッフさんのおかげなんです。数年前、イベントの主催を始めたばかりの俺は、クラブに知り合いがいるわけでもないし、そもそもどうやって主催したらいいか分からなかった。でもどうせやるなら新しいシーンをつくりたいと思っていたから、当時ヒップホップカルチャーに混ざっていなかったライブハウスで、ヒップホップのイベントを主催したんです。1回目のイベントはお客さんが25人だったんだけど、1年間やり続けたら100人を超える動員になった。回数を重ねる度にG-Shelterのスタッフとも信頼関係ができていった」
「すると、そのスタッフさんの元に、別の人から『大きなイベントを開催したいんだけど、若くて勢いのあるアーティストいない?』って相談があって、声をかけてもらったんです。それで、僕がアーティストをブッキングして、開催したのが幻海岸です。告知から本番まで約1カ月っていう超短期間で準備したイベントだったんですけど、めちゃめちゃ多くの人が来てくれたんですよ。その結果も踏まえて、今年もまた開催することが決定しました」
MuKuRo
「幻海岸は毎年やっていく予定だし、その度に伝説をつくっていくモンスターパーティになると思います」
MAVEL
「タイトル通りまさに伝説に残るような〝幻〟な1日だったよね。告知期間が短かったこともあって、敏感にアンテナを張っている感度の高い人たちだけが来ることができた。会場は市営ビーチだから22時までっていうリミットが決まっていて、最後の唾奇のライブが終わったのが21時58分くらい。終わった瞬間に照明も音も全部消えて、蜘蛛の子が散ったみたいに全員が急いで帰って誰もいなくなるっていうね(笑)。始まりから終わりまで、まさしく幻なイベントだった」
MuKuRo
「今年はヒップホップだけじゃなく、バンドも入れていく予定。楽しみっすね」
―話は変わって…今、沖縄のクラブに集う人たちの間で話題になっているTHUGWAY(サグウェイ)という出店。これもMAVELさんが主導しているとのことですが、なぜアーティストが出店を出すことになったんですか?
MAVEL
「サグウェイの始まりは、604の電気代をまかなうためにイベントでフードを出そうっていうことになったのがきっかけです。宜野湾市に俺らが通っていためちゃくちゃ美味しいブリトー屋があったんですけど閉店してしまって、どうにかあの味を再現できないかと試行錯誤していたら、美味しいのができたんです。それをクラブで売り始めたらバカ売れしてしまって(笑)。せっかくだから出店に名前をつけようってなって、サブウェイからパクってサグウェイ」
※サグというのはヒップホップ用語で不良という意味
「ありがたいことに大好評で、月に5回以上出店するようになって、ライブと同じくらい忙しくなっちゃってお金も回るようになってきました。お客さんや関係者のみんなが大きくしてくれたものなので、感謝しています。俺の目標の一つに、サグウェイとしてちゃんとした店を出すっていうことがあります。仲間が2人くらい食っていけるようにしたい。タイミングがあれば考えていきたいと思っています」
「ちゃんと生活を歌っていく」
―2人が大事にしていることを教えてください。
MAVEL
「俺は活動を始めた当初から『素直でいる』『リスペクトの念を持つ』『利己的にならない』の3つを大事にしています。俺らは横の繋がりを大事にしていきたい。だから家がないっていうやつがいても快く受け入れるし、困っているやつがいたらみんなで持つ荷物を分担して楽しんで生活していく。俺が好きな本の一節で『人は集まっていると死なない。弱い者こそ集まろう』っていう言葉があって、その言葉を胸に生きてきました。そうすると音楽以外でも枠を越えた仲間ができるんです。その仲間たちを裏切らないように、そいつらの思いも代弁しながらちゃんと生活を歌っていくこと。これが俺のヒップホップであり、大事にしていることです」
MuKuRo
「俺はMAVELと違って、周りに嘘もつくしなかなか正直ではいられないんだけど(笑)。でも自分にだけは嘘をつかないようにしている。自分がやりたいと思ったらやる。やりたくないときはやらない」
役割は「沖縄の音楽を届けること」
―2人がこの先やっていきたいこと、果たせる役割があれば教えてください。
MuKuRo
「俺の役割はないと思っています。自分に役割をつくってしまったら、誓約みたいになってしまってフットワークが重くなる気がしているので…。やっていきたいことは沖縄の音楽を世界に届けていくこと。俺は沖縄の音楽は世界一だと思っているし、俺自身、世界と勝負していきたいから」
MAVEL
「俺は人と人を繋いで、全国の面白い人たちを1つに集めることができると思っています。いつも唾奇とは『俺らは沖縄のヒップホップを伝えて広げていく義務がある』っていうことを口酸っぱく話しています。だから県外のアーティストにゲストで読んでもらったら、そいつらを必ず沖縄に招待する。そうやってしっかり意識しながら仲間と仲間を繋いでいく。この動きを徹底してやっていくこと。それが自分に課された使命だと思っています。」
〈インタビュー後記〉
ヒップホップとは弱者に寄り添う音楽なのだ。取材を通して改めて確信した。社会的な弱者が抱える闇を音楽という手法で表現していく。だから沖縄が「ヒップホップカルチャー」の熱源となっているのだと感じた。
貧困、家庭環境、低所得、基地問題…。沖縄という地域が抱える負の部分が、この島のヒップホップカルチャーの根源となっている。
そんな環境下で揉まれ、傷ついた弱者たちは寄り添い集まって、不幸自慢をする代わりに言葉を音に乗せ、強力な音楽を発信し、多くの人たちを惹きつけている。
戸籍なし、家なし、勘当―。一見すると社会的な弱者であったはずの彼らが言葉一つで強者へと成り上がり、小さなアパートの一室から虎視眈々と〝頂点〟を狙い続ける姿を、これからも見守っていきたい。
MAVEL オフィシャルTwitter
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MuKuRo オフィシャルTwitter
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※1 唾奇…沖縄県那覇市寄宮出身のラッパー。17歳からリリックを書き始め19歳でレコーディングを手掛け、ラップ活動を開始。2017年にはSweet Williamとの連名アルバム「Jasmine」を全国リリース。音楽番組「流派-R」内の「流派 BEST RAPPER AWARDS 2017」で1位を獲得した。
※2 RITTO…沖縄県石垣島生まれ、那覇市曙育ち。幼い頃からギタリストである父親の影響で音楽と隣り合わせの生活を送り、17歳でラップを始めフリースタイルで数々のライブに出演。2009年には「赤土」を結成し、音楽レーベルを設立し、沖縄屈指のストライカーとして活動中。
※3 CHICO CARLITO…沖縄県那覇市出身。2012年よりラップを始め、翌年上京と共に本格的に活動を開始。2015年末に「ULTIMATE MC BATTLE GRAND CHAMPIONSHIP」で優勝し、その後人気TV番組「フリースタイルダンジョン」にレギュラー出演。2017年6月には「Dungeon Monsters」として音楽番組「ミュージックステーション」に出演。独特のハイトーンとリズミカルなフロウの連打が特徴。
※4 T-Pain…米国フロリダ州出身のラッパー。過去に出したアルバムの内、3枚がゴールドディスク以上を獲得。そして5曲以上のTop10シングルを世に送り出している。
※5 ブルーノマーズ…米国ハワイ州生まれのシンガーソングライター。アルバム2枚からシングル・ヒットを量産すると、客演したマーク・ロンソン「アップタウン・ファンク」で一世を風靡しグラミー賞を受賞。2016年発表の3作目『24K・マジック』も快進撃を続けている。
※6 ヒューマンビートボックス…人間の発声器官を使って音楽を作り出す、音楽表現の方法の1つ。具体的な表現方法としては、レコードのスクラッチ音やベース音、ドラム音などを一人で交互に発声し行う。
聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)
音楽と湯の町別府と川崎フロンターレを愛する92年生。18歳からロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作っている人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。沖縄市比屋根出身。