東京を拠点に活動する沖縄出身のシンガーソングライター・AIMI(アイミ)。身長148センチの小さな体から放たれる迫力ある歌声は、リスナーの心に寄り添うように、優しく、伸びやかに響く。
2008年にメジャーデビューした沖縄のガールズバンド「ステレオポニー」のギターボーカルを務めた。2012年にバンドが解散し、「自分に歌えるのは何なのか」と悩み苦しんだ経験も。さまざまな経験を重ねながらも、彼女の胸に深く刻み込まれているのは、自身を育んでくれた伝説的音楽スタジオ「あじさい音楽村」(沖縄県本部町)への感謝の思いだ。
6年ぶりとなる地元・沖縄でのライブを前に、2018年4月にリリースした初のソロアルバム「アイミライオン」に込めた思いや沖縄への思い、自らの音楽的ルーツ、仲間との絆について語ってもらった。
◇聞き手・野添侑麻(イベンター)
〝運命の出会い〟で那覇から本部へ
―さっそくですが自己紹介をお願いします。
那覇市出身のAIMIと申します。今は東京で音楽活動をしています。2016年9月からシンガーソングライターとして活動をしています。2012年まではステレオポニー※1というバンドでギターボーカルをしていました。
―音楽を始めたきっかけを教えてください。
音楽は高校に入ってから始めました。中学生の頃、国際通りで行われていたストリートライブをたまたま観て「バンドって楽しそう!」って衝撃を受け、ライブハウスに足を運ぶようになりました。でも、その時はただ音楽を聴くのが好きなだけ。「いつかはバンドをやってみたいなぁ」っていうぼんやりとした憧れの気持ちを持っていただけでした。
ある日、大好きなHearts Grow※2のライブを観に行くと、彼女たちのグッズコーナーを担当していた男の人に「うちでバンドをやってみない?」って声をかけられたんです。その方は、当時本部町にあった音楽スタジオ「あじさい音楽村」代表の仲宗根陽さんっていう方で、みんなに「ニィニィ」って呼ばれて慕われているスタッフさんでした。でも、その時は「私なんかが音楽なんて…」っていう不安な気持ちの方が大きくて断ってしまったんです。
その後、高校受験の年になり、具体的な進路も決まらないまま、気がつけば冬休みになっていました。冬休み中だったある日、学校に行ったらHearts Growのメンバーが学内にいたんです。私と目が合った瞬間、彼女たちは「見つけたー!」って叫びながら走って駆け寄ってきて(笑)。
話を聞くと、どうやらニィニィにお願いされて、私を探すために那覇市内を回っていたらしんです。私がニィニィに声をかけられてから1年近くが経っていたし、受験生になってライブハウスにもあまり行けなくなっていた時期だった中で、「那覇市出身で、身長が低くて、あいみっていう名前の女の子」っていう情報だけを頼りに、彼らは本部町から何度も那覇まで来て、私を探してくれていたんです。
学校名も教えていないし、私は冬休みだった日に、たまたま学校に来た時にそういうことがあったので、「これは運命かもしれない」と。これを機に新しく生まれ変われるかもしれないと思って、親元を離れてあじさい音楽村がある本部町の高校に進学して、音楽に挑戦することを決めたんです。
原点は「あじさい音楽村」の日々
―ものすごく運命的な出会いがあって、AIMIさんの音楽生活がスタートしたんですね! 「あじさい音楽村」について、詳しく教えてもらってもいいですか?
「あじさい音楽村」は、代表であるニィニィが本部町で始めた音楽スタジオです。本部高校の前にある小さな弁当屋を営みながら、「高校生たちに音楽ができる環境を作ってあげたい」っていう思いで敷地内に自前のスタジオを作ってくれたんです。そこに音楽をやりたい若い子たちが北部地区の至る所から集って、後にメジャーデビューをするバンドも増えていったんです。
スタジオを無料で使わせてもらっていたので、学生たちはニィニィに対する恩返しの気持ちも込めて、毎日早起きして一緒にお弁当の仕込みを手伝いながら、学校とスタジオを往復する音楽漬けの日々を過ごしていました。私も寝るとき以外ずっとスタジオにいるくらい、学生生活のメインの場になっていました。テストで赤点を採ったら「バンド活動禁止」だったので、勉強するのもあじさい音楽村でやっていたし…(笑)。
人として大切なこととは
―あじさい音楽村という場所が、学生生活のすべてであり、音楽を始めたきっかけをくれたルーツとなる場所だったんですね。そこで学んだ大切なことってありますか?
私がニィニィから教えてもらったことで大事にしているのは「人の痛みがわかる人間になれ」っていう言葉です。いつもニィニィは「お前たちに音楽だけを教えているんじゃなくて、人として生きていくために大切なことを教えているんだぞ」って言ってくれました。
頼れる兄さんのようでもあり、親のように叱ってもくれ、先生のように教えも説いてくれて、常に若者たちにエネルギーを与えている人でした。
中学生の頃、先生や親とうまくいかなくて将来も見えずにもがいていた中で、「音楽」という希望の道を与えてくれたのもニィニィとあじさい音楽村のおかげです。夢や目標を持ち続けることの大切さも教えてもらいました。
あと、自分を信じる強さを持つことも…。私は音楽を始めたのが他の人より遅かったし、最初は曲も作れなかった。そんな自分の弱さとしっかり向き合いながら、自分を信じていけば何でも出来るということを教えてもらいました。
―そんなあじさい音楽村は、今も本部町にあるんですか?
実は2009年にニィニィが病気で亡くなってしまって、その後スタジオとしては動いてはいないんです。でも弁当屋さんは今も営業していて、場所としては残っているので、またいつか音楽ができる場所になったらいいなっていうのは個人的に思っています。そのために私にできることがあれば、力になりたいって思っています。
人気バンドの解散、そして帰郷
―そんな「あじさい音楽村」で音楽を始めたAIMIさんですが、高校在学中にステレオポニーとしてメジャーデビューを果たします。平成生まれアーティストで初のチャート2位を獲得し、4年連続でアメリカでのライブを成功させるなど、国内外問わず精力的に活動していましたが2012年に解散しました。解散後は沖縄に帰ってきたという話を聞きましたが、どういう気持ちで沖縄へ戻っていたのですか?
ステレオポニーが解散したとき、次の活動が決まって解散したわけではありませんでした。かといって、音楽以外の他の道を考えていたわけでもなくて…。でも、15歳から音楽一筋でがむしゃらに活動してきた中で、「深呼吸するために戻ろうかな」と思って1年くらい沖縄に帰っていました。
生まれ故郷の沖縄はパワースポットのような場所なので、何もせず東京にいるより沖縄に戻ったほうがいいかなって思って。運転免許を取るなど、今まで後回しにしてやってこなかったことを経験しました。
自分に向き合い再スタート
―久しぶりの沖縄生活で、ゆっくりと今後のことを考える時間を持てたのでしょうか?
「やっぱり私は音楽が好きなんだ」っていう気持ちを再確認できた1年になりました。家族や友達、地元のバンド仲間と、ゆっくりした時間の中で思っていること話したり、考えたりしたことが刺激にもなって、もう一度挑戦しようと思って再び東京に戻りました。
特に沖縄にいる同い年のバンド仲間たちには、とても力をもらいました。彼らのことは高校生のときから意識していたし、私が事務所の大人の人たちに支えられながら活動していた中、彼らは自分たちだけでCDを作ったり、大きなイベントを開催して大きなシーンを作ったりと、すごいなと思っていました。
沖縄に帰ってきたときに彼らとゆっくり話す時間を持てて、音楽のジャンルは違えど学ぶことがたくさんあって、私も頑張らなきゃと背中を押されるきっかけの1つでもあったんです。
ユニットで新たな世界ひらく
―そこから東京に戻り1年限定のユニット「Alice in UNDERGROUND」を結成しました。バンドではなく、ユニットとしての活動へ挑戦することになった経緯を教えてください。
知り合いだったミュージシャンの方に誘われたのがきっかけでした。私はギターボーカルとして活動してきましたが、「ボーカルに専念してほしい」というお誘いでした。今までボーカルのみに集中したことはなかったですし、歌に対していろんなアプローチができるシンガーに成長したかったので、表現方法の幅を広げて、新しいパフォーマンスを身につける意味でも良いきっかけだと思って挑戦しました。
―バンドスタイルと違って、何か変化はありましたか?
違いはたくさんありましたね。ユニットでは私が曲を作っていなかったので、ボーカリストとして曲にどう色を付け足していくかという今までやったことがない経験でした。自分の中で新しい引き出しが開く瞬間が増えていくのが分かりました。ギターを弾きながら歌うのと、歌のみに集中するのではパフォーマンスも違ってくるし、「あれ、私こういうこともできるじゃん!」っていう発見が常にありました。
「変化を恐れずに挑戦する」
―ユニットを経験したことで、ボーカリストとしてレベルアップすることができたという感じですか?
そうですね。周りに求められるものをやり続けていくことも大事だと思いますが、私は「自分自身も良い意味で常に裏切っていきたい」っていう気持ちがあるんです。変化を恐れずに挑戦することによって、たとえ失敗したとしても結果的についてくるものは必ずあると思っています。自分が面白そうって感じたものに対しては、正直に向かっていくタイプなので、ユニットに挑戦してミュージシャンとして成長することができたと思っているので、やってよかったなって思います。
―ユニット活動を経て、2016年にはソロで活動を開始しました。ソロに挑戦するに至った経緯も教えてください。
バンドとユニットというそれぞれ違う形での活動を経て、「もっとミュージシャンとして成長したい」っていう気持ちになっていました。自分の表現したい歌詞を書いて、曲を作って、お客さんに受け取ってもらいたいと思い、シンガーソングライターに挑戦しようと思ったんです。
せっかく初のソロに挑戦するので、今までと違った曲作りに挑戦してみよう思って「コーライティング」という作曲方法に挑戦しました。いわゆる「共作」という形になるんですが、曲ごとに作曲家さんを交えて一緒に話し合いながら曲作りをしていくという方法です。パソコンを使って打ち込みで曲を作っていったんですが、初めての経験でとても面白かったです!
作曲家さん一人ひとり曲作りの方法は違うから、いろんな作曲方法を身につけることができました。それだけでも刺激的なのに、自分の声と合わさったらしっかり馴染んでAIMIとしての新しい音楽に変わっていくのが、とても嬉しかったです。
そんな曲作りを行っている最中に、初のワンマンライブをやることが決まりました。そこでも「せっかく初めてのソロライブなんだから、AIMIのカラーに染め上げたい」と思い、ライブタイトルを「Color Collection」って名づけました。曲に対してイメージカラーをつけながら作ったり、演出で映像を入れたり、会場の装飾を考えたりしながら、自分の頭の中で描いていたイメージを1つずつ形にして、初のワンマンライブはおかげさまで大成功を収めました!
そこで、ライブのために曲もたくさん作ったので、作品として形にしたいと思ったんです。当初はミニアルバムを作ることを想定していたのですが、それ以上の曲が出来上がっていたのでフルアルバムを作りたいと思ったんです。
クラウドファンディングでフルアルバムに
―そしてフルアルバムを制作するため選んだ方法が、クラウドファンディングでの「フルアルバム制作プロジェクト」でした。
私の今の気持ちや世界観を表現するために、どうしてもフルアルバムとして作品にしたかったし、妥協したくない部分だったんですが、制作費で折り合いがつかず、どうしたらいいかなって思っていたときにクラウドファンディングというものがあると教えてもらったんです。
でも、クラウドファンディングで「フルアルバムを作るプロジェクト」を立ち上げるということは「支援者に必ず良い作品を届ける」と約束をするということです。支援をしてもらうって大変なことだしとても悩みましたが、バンドを解散した後に沖縄へ戻って親や友達、仲間から支えてもらい自分自身を見つめなおす時期があったことから、今なら「人から支援してもらう」っていう重みを受け止め、その想いをエネルギーにして良いものを作ることができるんじゃないかと思ったんです。
支援していただくという重みに対する怖さよりも「絶対に良い作品を作るし、このプロジェクトでしか体験できないものをファンのみんなに見てもらいたい」と思いました。ただ作品を作って届けるということじゃなくて、私とスタッフとファン、全員でチームになって1つの作品を作るっていう経験ができるんじゃないかと思って、クラウドファンディングに挑戦しました。
みんなの愛を未来に
―プロジェクトは開始8分で目標金額の100%を達成、最終的には目標金額の360%の支援を集めて大成功を収めました。そして4月には無事フルアルバムとしてリリースできました。本当におめでとうございます! リリース後はライブの数も増えてきました。
応援してくれている人たちの存在を身近に感じながら作ることができました。「あ、私1人じゃないんだな」って思えたときに大きな愛情に包まれて、体の奥底から何でもできるような力強さを感じたんです。アルバムタイトルに「アイミライオン」と名付けたのにも、みんなから受けた愛を未来に繋げていく音という思いでキーワードの「愛・未来・音」をつなげて名付けました。
―ソロになってからも、より一層ライブ活動にも力を入れていると聞きました。
もっと多くの人に私の音楽を届けたいっていう気持ちであふれているんです。AIMIというアーティストをもっと面白くしていきたいし、そのためにはライブをたくさんやっていきたいって思っています。私に関わる全ての人と作った「アイミライオン」を持って、いろんなところでライブができています。私1人じゃなくて、みんなの気持ちも背負ってステージに立っています。「みんなで作ったこんなにいいアルバムを、また見ぬ多くの人にもしっかり届けないといけないよね!」っていう気持ちでライブをしています。
6年ぶりに地元・沖縄でライブ
―5月26日には地元・沖縄でのライブです。今から気持ちが高まっているんじゃないでしょうか?
こればかりは気持ちが入りすぎています(笑)。地元でのライブは約6年ぶりですからね。今回のライブは、沖縄の同級生のHAPPYベス男とたつきちが所属するCRAZY HIPSとの共催イベントなんです。彼らのことは10代の時から知っているけど、ようやく初めて一緒にライブをやることができるんです! しかもその初めての場所が沖縄っていうのは本当に嬉しい。
仲間たちと一緒にライブしたいっていう気持ちがずっとあったので、それは自分がソロアルバムを出したタイミングでやりたいと思っていたんです。彼らは私がソロとして活動すると決めた時期に協力してくれて、力になってくれた大切な仲間なんです。
お互い沖縄から音楽の世界に挑戦するため東京に出てきた間柄なので、私たちの沖縄に対する愛を伝えることができるライブにしたいですね。沖縄だからこそ、より自然体で歌えると思います。沖縄のみんなに成長した姿を見せることができると思うので、気合い十分です!
音楽の喜びを分かち合える輪を
―最後にこれからAIMIさんが挑戦していきたいことを教えてください。
私もファンもスタッフも、みんなで音楽ができる喜びを分かち合える輪をもっと広げていきたいと思っています。そのために今後はライブ活動により力をいれていきたいです。
次のワンマンライブは9月4日に東京でやることが決定しました。去年初めてワンマンライブをやったとき、自分の世界観や価値観が大きく広がっていく感覚を覚えました。今回もさらに広い世界が見られて成長できるんじゃないかと思っています。私が先頭に立ってみんなを引っ張っていくので、しっかりついてきてほしいです!
※1 ステレオポニー…ガールズスリーピースロックバンド。2007年結成し、2008年に「ヒトヒラのハナビラ」でデビュー。2ndシングル「泪のムコウ」ではオリコン初登場2位を獲得し、平成生まれでは初となる快挙を成し遂げる。2012年に開催。
※2 Heart Grow…沖縄県本部町出身の5人組バンド。あじさい音楽村に集まる地元の高校生6人によって2004年に結成。沖縄県内での路上ライブやライブハウスでの活動を経て、2006年にメジャーデビュー。2009年11月に解散。
― AIMI LIVE Info ―
5月26日@那覇Output
CRAZY HIPS & AIMI presents「うぉううぉうNIGHT〜ハッピーバースデー・アイミライオン」
出演者:AIMI、CRAZY HIPS、Civilian Skunk、DX×DX、クリーム嫌い(仮)
開場17:30 開演 18:00
入場料は前売り1500円。当日2000円(学生証提示で500円割引)。問い合わせはOutput(電話)098(943)7031
聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)
音楽と湯の町別府と川崎フロンターレを愛する92年生。18歳からロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作っている人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。沖縄市比屋根出身。