ペリーの気分で味わった一杯の水


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首里城(那覇市)から幸地グスク(西原町)、新垣グスク(中城村)、中城グスク(同村)を経て勝連グスク(うるま市)に至る琉球王国時代の中頭方東海道。中城村区間は「中城ハンタ道」と呼ばれ、周辺には国指定史跡が点在する。

「ハンタ」は崖を意味し、道は丘陵東側の崖沿いを通る。村が道を歩けるよう整備しており、散策にはうってつけだ。歴史に思いをはせながら記者がほろほろ(ぶらぶら)した。

祈りのをつな

 

名前は聞いたことがあるけれど実際に歩くのは初めての、きんら記者とわかな記者。中城ハンタ道 1 が通る中城村新垣区の伊佐善和区長(64)を訪ね、ハンタ道の魅力を聞いた。「昔からあるからそんなこと考えたこともないけど。強いて言うなら…静かなところ?」とおちゃめな答えが返ってきた。

“歴史の道”という感覚は薄く、むしろ地域の生活道路という印象が強い。伊佐区長は、気が向けば散歩気分で最終地点の中城城跡まで歩くこともあるとか。「良い散歩コースだよ。気の向くままに歩いててごらん」と優しく送り出してくれた。区長が飼う猫のゴマも「にゃぁ~」とお見送り。いざ行かん歴史街道へ。

区長が飼う猫のゴマ

少し歩くと、集落に残る道の一部、ユムトゥビラが見えてきた。登るのを躊躇(ちゅうちょ)するほどの急な坂道だ。戦前は頭に水だるを乗せた女性が行き来していたという。息絶え絶えになりながらなんとか登りきった。坂の頂上まで上がると景色が一変する。

新垣区の集落から中城ハンタ道の一部「ユムトゥビラ」に続く道

伊佐区長は「散歩コース」と言っていたが、目の前に広がるのは草が生い茂るけもの道そのもの。メジロとセミの鳴き声に導かれ、意を決して歩き出した。前へ進むたびにバッタなのか虫が驚いたように跳ぶ。

緑色の景色にも慣れてきたころ、広場のような場所にたどり着いた。ぽつんと拝所らしきものが建っている。中城村教育委員会の資料によると、この場所は「ニードゥクル(根所)」といい、ムラの創始者の屋敷跡と伝えられている。かつてはこの場所で、おにぎりを供え、生まれた子どもの名前を報告する儀式もあったという。現在は区民館で生誕を祝う催しが行われている。

道の一部は現在途切れており、かつて村の祭祀(さいし)の時に利用されていたという「カミミチ」 2 へ迂回(うかい)した。草むらの間から見える石畳がなんだか趣深い。

つかの間のごんごろ道を楽しみながら歩いていると、大きな岩の根元にぽっかり穴を発見。そばには「ワーランガー」と書かれた看板があった。穴にはクモの巣が張っており、その向こうには湧き水が見える。なんだか涼しい気持ちになった。

出会と運と一杯の

 

枯れ葉をパリパリと踏みしめながら歩を進める記者は、いよいよ国指定史跡の新垣グスク 3 に入る。13世紀後半から14世紀にかけて中城グスクと同年代に築城されたと考えられている新垣グスク。往時の繁栄を今に伝えるかのように、海外から渡来した良質の陶磁器が出土する。

グスク内には「トゥン」(ウチバラノ殿(とぅん) 4 と呼ばれる祠(ほこら)があり、今でも新垣区の祈願が執り行われる。周囲は木々が生い茂って陰となり、通り抜ける風が心地よい。

:新垣グスク内にある拝所「トゥン」。地元では「ウタキ」と呼び、周囲の伐採は控えられているとか、いないとか

「おー」。感嘆の声を上げたきんら記者はカメラを構えた。北側に続く中城ハンタ道へ合流するカミミチを降りると、与勝半島から知念半島までの中城湾が一望できる。この日は快晴で、海面がきらきら輝いている。ゴルフ場のグリーンと中城村の家並み街並みが広がり、「インスタ映え」しそうだ。

道の途中では中城湾が一望できる。眼下はオーシャンキャッスルカントリークラブ

さらに北へ進むと、二つの石がくっついたような十数メートルの琉球石灰岩が見えてきた。米国のペリー提督が1853年の来沖時に旗を立てた「ターチャーイシ(ペリーの旗立岩)」 5 だ。

一行が訪れた時は東西の海岸を見渡すことができたとされるが、現在は草が生い茂り視界はまずまず。

「ペリーの旗立岩」近くで野菜を育てるチャンディッタウォン親子

岩の近くでタイ出身の琉球大学院生チャンディッタウォン・タナパットさん(31)=同村=に出会った。タイから訪れている父ウォーラウットさん(66)と畑仕事をしていた。妻が南上原で開いているタイ料理店「シャムビントウ」用にハーブなどの野菜を育てているという。
なぜここで畑をしているのか理由を尋ねると、タナパットさんは「運命ですね」とさらり。この土地を購入したのは昨年5月31日。ペリー提督が旗を立てた時からちょうど165年という日だった。土地を見つける前、この周辺の夢を見たのだとか。

沖縄が大好きで歴史も詳しく、今はペリー提督についての資料を集めているタナパットさん。中城ハンタ道について「歴史的に重要な場所で、県民も外部の人も学びに来れる場所になればいい」と日焼けした笑顔を見せた。

沖縄地方が最高30度を超える真夏日だった。飲み水を持たず、ふらふらになりかけていたわかな記者に、ウォーラウットさんはコップ一杯の水を手渡した。ペリー提督もきっとここで水を飲んだろうなと想像しながら、一気に水を飲み干した。

はるかなる 中城グス

 

ここまで約2時間の道のり。なんだか急におなかがすいてきた。道が続く中城城跡まではまだまだある。「次回にしよう…」。誰ともなくつぶやき、一同は道に別れを告げた。

近くのオーシャンキャッスルカントリークラブ 6 に到着。この日はたまたまのバイキングスタイルだった。カレーライスに野菜炒め、ヨーグルトのデザート、思う存分食べて帰路についた。体力のある方はぜひ中城城跡までチャレンジを!


石畳が残るカミミチ。木漏れ日が優しく降り注ぐ
笑顔がまぶしい新垣区の伊佐善和区長
ムラの創始者の屋敷跡といわれているニードゥクル(根所)
ペリー提督が本島調査中に見つけ、岩の頂上に旗を立てた「ペリーの旗立岩」

(2019年8月4日 琉球新報掲載)