お笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹さんが、3作目となる小説「人間」を10月に刊行した。今作は、又吉さんの父の出身地・沖縄も登場する。又吉さんは作品に込めた思いを、6月に沖縄で行われたトークライブで語っていた。『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』の著者・橋本倫史さんとのトークライブの【後編】をお届けします。
「懐かしさ」と「これから」
橋本:第一牧志公設市場の今の建物は半世紀近くそこにあったので、リニューアルが決まったとき、取り壊しを惜しむ声も耳にしたんです。そこは皆が「懐かしい」と感じる場所だったんだと思いますけど、その一方で、地元のお客さんはスーパーで買い物する人が増えているんですね。そうした現状を踏まえると、皆が「懐かしい」と感じる市場周辺がこれからどうなっていくのか、気がかりでもあって。
又吉:たとえば、懐かしのヒットソングを特集するテレビ番組が放送されるときに、自分が生まれる前の曲やったりすることがありますよね。それはやっぱり、今60代ぐらいの世代が一番多くて、テレビを観ているから、その世代の人たちが懐かしいと感じる曲が放送されていて。
でも、中学生のときに聴いていた曲というのも、僕らにとっては懐かしいものじゃないですか。それと同じように、今の10代が聴いている曲も、50年後には懐かしいものになると思うんです。長く続いているもののほうが愛着を持ちやすいし、僕も古い友達や長く使っている道具をすごく大切に思っているんですけど、今この瞬間に新しく生まれつつあるものも大切にせなあかんと思うんですよね。
橋本:公設市場で話を伺っていると、「昔はすごい賑わいだった」という話をあちこちで聞くんですね。今でも賑わっているお店はたくさんありますけど、昔に比べるとのんびり過ごされているお店もあるんです。家にいても退屈だけど、「ここにいるとお客さんや周りの店主と話ができる」とお店を続けられている方もいて。その方たちにとっては、公設市場は自分の人生の舞台となってきた場所で、その風景を眺めていると「この場所にはいろんな記憶が詰まっている」と感じられる場所だと思うんです。そういう場所を取材していると、「あの方たちの年齢になったときに、自分が『懐かしい』と感じる場所はどこになるんだろう?」ということを考えてしまうんですよね。
又吉:そこが難しいところなんですけどね。『おきなわMOSAIC』(RBC)という沖縄の番組でMCとして公設市場から生中継したんです。その番組のスタッフさんは皆さん沖縄で育った方やから、「自分の親がここで働いていたんです」とか、「子どもの頃によく来てたから、閉場したときは泣いてしまいました」とかいう話を聞かせてもらったんです。必要に迫られて今の市場が生まれた瞬間があって、そこから蓄積してきた時間があって、皆にとってすごく重要な場所になっていて。それを僕たちが50年後の人たちのためにどうしていくべきなのか、それはすごく重要な問題ですね。
暮らす人そのものが沖縄
橋本:公設市場は建て替えることになりましたけど、市場の周辺にある商店はこれからも同じように営業し続けるんです。でも、公設市場が一時閉場を迎えた翌日から、如実の人の流れが変わっていて、新しい市場がオープンするまでの間に、界隈の風景は大きく移り変わるんだろうなと思ったんですよね。『市場界隈』という本を書いたからには、それで終わりにするわけにはいかなくて、今後も足を運ばないとなと思っています。
又吉:昨日の番組で、「又吉さんにとって沖縄とは」と2回ぐらい聞かれたんですけど、それはむちゃくちゃ難しい質問やなと思ったんですよね。むちゃくちゃ表層的なことを言えば、「明るい」とか「実は繊細な部分もある」とか言えますけど、今日一日考えてみて、やっぱり人じゃないかと思ったんですよね。沖縄で暮らしている人そのものに、沖縄がある。『市場界隈』はまさにそういうことを書いた本ですし、沖縄の人がおる限り、そこは沖縄なんやろうなと。
橋本:僕が取材を始めたときにはもう、公設市場がリニューアル工事に入ることは決まっていたので、「今の風景はやがてなくなる」という期限がすでに見えていたんですね。その上で取材をするときに、何を書き残そうかと考えると、古い建物の魅力を描きたいわけではないなと思ったんです。買い物に来たお客さんは、ただ商品を買って帰るだけではなくて、店主と話し込んでいることも多くて、お客さんが座ってしゃべっていくために椅子を用意しているお店も多いんです。僕が惹かれたのも、その人の姿だったんです。だから、そこで働いている人たちがどんな時間を過ごしてきて、今はどんなふうに過ごしているのかを書き残しておきたいなと思ったんです。
年表外のリアリティ
又吉:『市場界隈』を読んで、もう一つ思ったのは、ここに書かれているのは年表には載らへんことやなと思ったんですよね。年表ってすごく簡略化されていて、「この年にこんな出来事がありました」ってことだけ書かれてますけど、その一行の中にむちゃくちゃ膨大な記憶や歴史が詰まっていて。この本の中に、「喫茶スワン」の節子さんという方が出てきますけど、節子さんが夫となる男性の実家に行ったときの話がすごく好きなんです。
橋本:節子さんは熊本生まれなんですけど、大阪で夫となる譜久島栄さんと出会うんですね。栄さんは宮古列島に位置する伊良部島の出身で、その伊良部島を初めて訪れたときのことを節子さんが聞かせてくれたんです。当時は船で渡るしかなかったらしくて。
又吉:その船には飛び乗らなきゃいけなくて、節子さんが戸惑っていると、栄さんが「俺が受け止めるから、早く飛び乗れ!」と言うんですよね。すごくロマンチックな場面やなと思って読んでいたら、そのあとに「勇気を出して飛び移ったら、足を打った」という話があって、現実はこれぐらいのリアリティがあるものだよなと思ったんですよね。でも、そういうエピソードって、なかなか語られないもやと思うんです。そういう記憶を知れるのはいいなと思いますね。
橋本:又吉さんが今おっしゃったエピソードの箇所について、「こんな話は取るに足らないから、本にしなくてもいいんじゃない?」と節子さんはおっしゃったんです。でも、僕はその話にすごく時代のリアリティが詰まっていると思ったから、どうしても残したいなと思ったんですよね。だから、『市場界隈』は、観光ガイドブックとは対照的な本でもあると思っていて。ガイドブックはすごく便利な本で、初めて出かける町のことを大掴みに知るにはうってつけだと思うんです。でも、そこからこぼれ落とされてしまう話が膨大にあるよなと思うんです。そうした話も含めて、まるっと書くことができないかなと。
又吉:橋本さんの本を読んでいると、「よく聞けたな」と思うんですよね。僕も親から昔の話を聞きたくて、油断させて聞き出そうとするんですけど、なかなかしゃべってくれないんですよね。しかも、皆、自分で話を編集して、劇的なことを語ろうとするじゃないですか。その一歩手前のところにほんまの日常があるんですけど、そこを聞き出すのはすごく難しいし、相手が話してくれたとしても、聞いた側がそれを残すためには絶対にセンスが必要やと思うんです。橋本さんはそこがすごいなと思うし、この本でもそういうところが面白いし貴重やと思います。
橋本:取材するとき、話を一回で全部聞き終えることって少ないんです。市場だと、忙しく働かれてる方も多いので、じっくり話を聞かせてもらうわけにもいかなくて、お店が忙しくなってきたら「お客さんが途切れたタイミングでまた来ます」とおいとまして、後日あらためて伺うことも多かったんですよね。そうやって何度か話を聞かせてもらっていると、新しいエピソードが出てくることも多くて。
又吉:なるほど。本人は二軍や三軍のエピソードだと思っているような話が、こっちにとっては超一軍やったりするんですよね。
橋本:そうなんです。たとえば「お店を切り盛りされてきたなかで、一番印象的だったことは何ですか?」と質問したとしても、「特にないねえ、毎日こんなふうに過ごしてきただけだよ」という答えになることが多いんです。でも、少し時間をあけると、「あのあと思い出したんだけど、こんな出来事があったんだよね」と話してくださることもあって。だから、最初に話を聞かせてもらうときは、小さい頃の出来事から順番に、今に至るまでの半生を聞かせてもらうんです。それをもとに一回原稿を書いて、ご本人にチェックしていただくと、細かい話を聞かせてくれることもあって。それをまた書き足して…と繰り返して、本にまとめていったんです。
「酒飲むと鬼」の祖父の記録
又吉:僕のおじいちゃんは又吉宝善という名前で、ハワイに移り住んで、戦争が始まる前に沖縄に帰ってきて、最終的にはサトウキビを作ってたんです。おじいちゃんは僕が1歳のときに亡くなってるんで、しゃべった記憶はないんですけど、前に僕のルーツを探る番組をやってもらったとき、おじいちゃんのことを調べてもらって。その番組では、おじいちゃんはすごく家族思いで仲間思いの温かい人物として描かれていたんですけど、その収録のときに親戚一同が集まったら、僕の父親の姉が「普段は神様、酒飲んだら鬼」と言って、まわりがめっちゃ笑ってたんです。僕の父親は、普段はシャイなんですけど、酒癖が悪くて酒飲んだらむちゃくちゃになるんですけど、「おじいちゃんもそうやったんかな」と。
橋本:2013年に放送された『ファミリーヒストリー 又吉直樹~ハワイに渡った祖父の軌跡~』(NHK)ですね。でも、オンエアの中ではおじいさまのそんな一面は描かれてませんでしたよね?
又吉:そうですね。父親の姉のその言葉が面白かったんで、あとでスタッフさんに聞いてみたんですよ。そうすると、「いや、実は、名護に行って『又吉宝善さんってご存知ですか?』と尋ねると、ほぼ全員が『ああ、酒飲みの?』って答えるんです」とおっしゃっていて。「評判はすごくよくて、地域の方に慕われてたみたいなんですけど、お酒を飲んだら大変だったみたいです」と。そっちで描いてくれても全然よかったんですけど、スタッフさんが気を遣ってくれたんでしょうね。
番組の中では僕のおばあちゃんが「晩酌は毎日 コップ一杯」という場面だけが出てきて、そこにスタッフさんの愛情を感じましたね。でも、やっぱり人間の良い側面がクローズアップされることのほうが多いから、「酒飲むと鬼」ってところは歴史から消えていく可能性がありますよね。それこそガイドブックなんかでもそういった部分は削られていくから、そこで暮らす生身の人間の声が記録されるのは重要やと思いますね。
「さっきのは完全にオトン」…1番興味があるのは両親
橋本:さっき又吉さんが、「自分の親に昔の話を聞いてみようとする」とおっしゃってたじゃないですか。それは又吉さんらしいなと思うと同時に、僕は全然そんなことをしてないなと思うんです。公設市場で働く方たちに対しては、小さい頃の思い出から、仕事を始めた頃のこと、結婚したときのことまで伺っているんですけど、自分の親にはほとんどそういう話を聞いてなくて。本を出版したあとで実家に帰ると、父親が本をめくりながら、「この人の話なんか、すごいよのう。そういえばワシが小さかった頃には……」と話し始めることがあるんですけど、「その話、今度ゆっくり聞くわ」と答えてしまうんです。
又吉:いやいや、お父さんの話もちゃんと聞いてくださいよ(笑)
橋本:自分の親となると、近くて聞きづらいんですよね。もちろん自分の家族をテーマにノンフィクションを書かれる方だっていらっしゃると思うんですけど、僕は直接縁があるわけではない方のほうに興味が向かうんです。『人間』を読んでいると、ご両親の姿が出てきますよね。もちろん作者と主人公は別の存在ではありますけど、又吉さんがご両親の実際の言動から着想を得たのであろう場面はたくさん出てくるじゃないですか。『人間』を書く上で、自分の親を描こうと思ったのはなぜですか?
又吉:これは昔からなんですけど、親の言っていることや表情に、小さい頃から興味があって。母親はすごく優しくて、父親はむちゃくちゃなタイプで、尊敬するとこ見つけんのが大変なんですけど、なんか好きやったんですよね。1作目の『火花』を書いたときも、父親は全然関係ない話を書いているはずなのに、あとから読み返してみると、なぜかオトンっぽい人が出てきていて。振り返ってみると、自分の人生でも、「この人、父親の雰囲気に似てる」ていう先輩や友達に惹かれてしまうところがあるんですよね。
僕の中では、両親というのが自分にとって一番興味がある対象で、自分の言動も「さっきのは完全にオカンやな」とか「今のはオトンっぽかったな」とか思うことがあるんですよ。なにか腹立つ出来事があったとき、感情がワッとなりながらも、「なるほどな、人間はこうやって怒るんや」と冷静に考えている自分もいて。「じゃあ、あのときのオトンも、こういう感じで怒ってたんかもな」と。だから、あるタイミングで「次は親のことを書こう」と決めたというよりも、これまで自分が書いてきたものや考えてきたことを振り返ってみると、親のことを書く方向に道ができてたようなところもあるんですよね。
橋本:僕は『市場界隈』を出版して、沖縄を取材するのは一区切りのつもりでいたんですけど、さっきも話したように、公設市場が閉場したことで風景が変わり始めているのを目の当たりにしていると、市場がリニューアル工事をしているこの3年の間に生じるであろう変化はすごく大きいものだと思うので、その変化を百年後の誰かに伝えたいという気持ちもありつつ、同じ時代に生きている誰かに対しても、「今、この瞬間に市場周辺の風景が変わりつつある」ということを知らせたいなと。だから、これからも月に1度くらいは沖縄に足を運びたいです。
又吉:僕もやっぱり、沖縄は大好きなんですよね。自分の作品で沖縄を舞台にした作品を描くかどうかはまだわからないですけど、最近は年に何度か沖縄にきてるんですよ。だから、もうちょっと足を運ぶ頻度を増やして、沖縄と付き合っていきたいなと思ってます。