一晩かけて行うトビイカ漁
海人の仕事を知る
南城市玉城の奥武島。漁業が盛んな島の名物といえば、干しイカだ。やわらかくおいしいだけでなく、イカを干す光景は夏の風物詩でもあり、新聞・テレビにも毎年取り上げられている。しかし、原料となるトビイカの漁について知っている人はどれほどいるだろう。島の海人たちにレキオ記者が同行、夜通し行われる漁の様子を記録した。
7月下旬の晴れた日、奥武島西岸の桟橋から「姫伽丸」(ひめかまる、19トン)にレキオ記者が乗り込んだ。船長の平良勝美さんは漁業を始めて20年以上のベテラン。知念漁業協同組合に所属しトビイカ漁を行っている。17時の出港を前に、甲板では船員の森原海さん、小林大樹さんが仕掛け作りや船の点検をてきぱきとこなしていた。
闇夜に操業
奥武島から出港した船は、約2時間かけて久高島沖のパヤオ(浮漁礁)に到着。漁が始まる頃には日も暮れていた。トビイカ漁は闇夜に合わせて行われており、この日も新月の前夜であった。月明かりが少ない夜、船上から集魚灯を照らすことで、水面近くにトビイカを集めることができる。
漁の仕掛けは長さ約50メートルの釣り糸に1メートル間隔で擬似餌がついたもの。電動のリールで仕掛けを上下させ、擬似餌に飛びつくトビイカを釣り上げる。仕掛け自体はシンプルだが、イカの群れがいるポイントは、経験を積んだ船長にしか見極められない。平良さんは潮の流れ、水深、天候、近くで操業する他船の動きなど複数の要素を参考にしているという。
仕掛けは海底に向かって真っすぐに下ろす必要があり、これを「縄が立つ」と言う。縄が立つには漁の間、潮流に対して真正面に船首を向け続ける必要があるが、これは外洋の波のうねりをもろに受ける姿勢でもある。船に不慣れな記者は一晩中船酔いに苦しめられることとなった。
漁を始めてからしばらくはポツポツとしか釣れなかったトビイカだが、深夜にかけてしだいに数が増えてきた。森原さんと小林さんは釣れたイカを確保し、船の冷凍室に入れていく。トビイカはスミを吐きながら勢いよく船に上がってくるため、二人とも衣服を汚しながらの作業だ。「大漁の時は“イカのじゅうたん”ができます。足の踏み場もないくらい釣れるんですよ」と森原さんが教えてくれた。
かつてはサバニで
翌朝4時ごろまで漁を行った姫伽丸は朝日を背にしながら、奥武島に戻ってきた。漁港に着いたのは6時すぎ。船の係留を終えると、平良さんはすぐさまトビイカを車に載せ替え、セリが行われる知念漁協まで運ぶ。今回の水揚げ量は約300キロ。平均よりも100キロ多い成果があった。
セリから戻った平良さんと船員の2人は、さっと朝食を済ませると今度はスク(アイゴの稚魚)漁をする別の船に乗り込んでいった。交代で仮眠を取っていたとはいえ、一晩働いた後である。そのエネルギーには驚くばかりだ。
かつてはサバニの船団で闇夜の海に繰り出し、トビイカ漁をしていたという奥武島の海人たち。多くの危険もある中で漁をしていたと推測される。しかしこの環境が海人同士や島で彼らを待つ家族に強い結束を生み出したようだ。そんな背景があるからこそ「今でも島の漁業には活気があるんです」と平良さんは語る。
トビイカの刺身や干しイカは島内の鮮魚店や食堂などで購入できる。新鮮なものはイカスミ汁やイカスミジューシーにもおすすめだ。平良さんや知念漁業の関係者は今後、県内各地に販路を広げていきたいと語る。口にする機会があれば、その漁の様子にも思いをめぐらせてみてほしい。
(津波典泰)
(2022年9月8日付 週刊レキオ掲載)