全ては琉球大学への留学で始まった。2006年、私は県費留学生として台湾から琉大に入学し、1年間、日本語を勉強した。
在学中、世界中から集まったウチナーンチュの子弟や外国人留学生らと友だちになり、それまで知らなかった沖縄移民史の一部も学ぶことができた。その中で米ポートランド出身のチャールズ・コベルさんと出会ったことが、今回のポートランド留学につながった。12年前の私には、留学先でできた友だちの故郷へさらに留学するなんて想像もできなかったことだ。
私は、今回の1年間の留学期間を活用し、アメリカやカナダに暮らす琉大時代の同期生らも訪ねた。彼らのほとんどはウチナーンチュの2世で、カナダのバンクーバーや米ロサンゼルス、ワシントンなどに住んでいる。職業もさまざまで、国家公務員をはじめ、医療保険を支払えない難民や移民を支援する社会福祉士や看護師、会計士など、彼らはいろんなところで活躍している。
太平洋を渡り、知らない土地で苦労をしてきた1世を越えて、彼らは移住先にすっかり溶け込んでいる。それでも、いまだに沖縄とのつながりも深く、沖縄で開かれる「世界のウチナーンチュ大会」にも必ず参加している。彼らは私と会った瞬間「沖縄へ帰りたい」と口をそろえる。“故郷”での生活が懐かしくなり、そこに暮らす親戚たちに会いたくなるのだろう。
沖縄は世界地図で見ると小さな小さな島だ。でも、ウチナーンチュは世界中に散在している。海外で活躍する彼らに会いに行くことで、私もこの1年間の留学がとても充実したものになった。
9月に琉球新報に復職する。アメリカで学んだ知識を沖縄に持ち帰り、仕事に生かしていきたいと思っている。どうぞよろしくお願いします。
(おわり)
プロフィル
呉俐君(ウ・リジュン) 1983年、台湾・高雄市出身。2012年に琉球大学で社会学博士学位を取得し、同年琉球新報社へ入社。経済部記者などを経て、昨年9月より社内留学制度を活用して米オレゴン州のポートランド州立大学で英語を学んでいる。