<金口木舌>涙に寄り添う


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 「世はさまざま」という山之口貘の詩がある。〈琉球には/うむまあ木といふ木がある〉〈いつも墓場に立つてゐて/そこに来ては泣きくづれる/かなしい声や涙で育つといふ〉

▼「うむまあ木」とはクヮーディーサーのこと。ンマーギと呼ぶ地域もある。和名はモモタマナやコバテイシ。枝が横に伸び、大きな葉が木陰をつくる。墓以外にも集落の広場や学校で見掛ける
▼きのう大勢が訪れた平和の礎にも数百本が枝を広げている。その木陰で、3世代が手を合わせ、祖父母の話を聞く光景が今年も見られた
▼「さとうきび畑」の作者・寺島尚彦さんは、平和の礎のクヮーディーサーを見て「緑陰(こかげ)」という歌を作った。「言い伝えのように、すすり泣きで育つのではなく、戦没者が眠る礎を強い日差しから守るために力強く伸びているんだ」と晩年、娘の夕紗子さんに語っている
▼涙で育つという俗説を超え、新しい解釈を示した。追悼式で朗読された平和の詩と共通する点がある。金武小6年の仲間里咲さんはセミの声を「戦没者の悲しみの訴え」ではなく「平和を願う鳴き声」と捉えた。豊かな感性が生んだ見方だ
▼同じ音でも、心の感度計次第で違って聞こえることがある。6・19県民大会で沖縄から上げた声を首相はどう聞いただろう。クヮーディーサーのように、人々の涙に寄り添える“心の耳”はお持ちだろうか。