本書に収められた五つの物語は、いずれも戦争の記憶を基底としている。また、その記憶の多くが水と深い関わりを持っている。
「露」では、中国戦線での従軍体験を語る人物が「喉の(のどぬ)乾いて(はーらち)、一滴やてぃん水飲(ぬ)み欲(ぶ)せーむん、目の前の水んかい毒入れられたら、人間は誰(たる)やてぃん狂者(ぷりむん)に成んどー」という言葉を発する。日本軍による暴虐を喉の渇きに結び付けるこの証言は、沖縄戦体験者の渇きの記憶をも呼び起こしていく。それを聞いていた若い青年は、自分の身体に舌が這(は)ってくるような感触を覚える。渇きの記憶が異なる戦争体験を結び付け、舌の動きという身体感覚が体験を持たない世代の青年の身を震わせる…。そのような、記憶の伝播の瞬間がここでは鮮やかに切り取られている。
日本軍にスパイ疑惑をかけられ、父を斬り殺された少年と、それを指揮した当時の将校が長い時を経て出会う「神ウナギ」、辺野古の座り込みに参加した女性がかつてそこにあった大浦崎収容所で過ごした日々を想起する「闘魚(とーぃゆー)」においては、産泉(うぶがー)や井戸に潜む生き物が重要な役割を担う。
夫婦や親子の間でさえも口にすることができないような記憶を抱えて戦後を生きてきた登場人物たちは、常に深い後悔や苦痛にさらされている。しかし、水の底からふいに姿をあらわす生き物たちは、そうした記憶を、別の角度から照らし出してくれる。神ウナギを守ろうと抵抗した父の姿、闘魚を井戸に入れていたずらっぽく笑う弟の顔。去っていった死者たちをめぐる誇りや愛慕に彩られた記憶が、生き物たちの到来によって当事者の身の内によみがえる。そのとき、戦争を記憶すること、その記憶を継ぐことの可能性が、かすかにではあるが開かれていく。戦争を生き延び、記憶がもたらす苦しみを生き延びた先にある未来が、水に住まう生き物たちに託されている。それはまた、記憶を継ぐべき人びとに差し向けられた期待でもあるはずである。
(村上陽子・沖縄国際大教授)
めどるま・しゅん 1960年今帰仁村生まれ、作家。芥川賞、川端康成文学賞、琉球新報短編小説賞など受賞。著書に「水滴」「魂込め」など。