沖縄戦で「学徒隊」として戦場に駆り出された、旧中等学校全21校の名を刻んだ「全学徒隊の碑」の除幕式が14日、沖縄県糸満市の平和祈念公園で開催される。建立の背景には「学徒隊を忘れないで」という元学徒の熱い思いがあった。戦時中、那覇市泊にあった昭和高等女学校の同窓生の吉川初枝さん(89)と上原はつ子さん(88)は「これだけ多くの学校の学生が動員されたことを伝えたかった。合同の碑できてよかった」と話す。
2人が5年ほど前、学校の思い出を話していた時に学徒隊の話になり「今は元学徒がいるが、そのうちいなくなるだろう」という話になったという。「“ひめゆり”のように知られていれば別だが、多くは忘れられてしまうのではないか。どうにかして残さないと思った」と振り返る。
周囲の沖縄戦体験者や元学徒に話すと「今さらどうか」という声もある一方で「合同碑にしたらいい」「戦後処理として建立させるべきだ」と賛同も得た。
2人はその後、県と県議会に建立を要請し、何度も足を運んだ。沖縄戦に動員され、10代で戦死していった級友への思いがあった。
2人は1945年1月から看護隊として教育を受けた。上原さんは看護教育を終えた3月22日、中城に一時帰宅中に空襲が始まった。激しい空襲に学校に戻ることができなかったという。「日本が勝つと信じて疑わなかったから、学校に戻りたいと思っていた」と話す。しかし状況が厳しくなり、戻ることはできなかった。
一方、吉川さんは看護隊として野戦病院に配置された。ある日、仕事を終えて、級友と話している時に攻撃が始まった。近くに落ちた弾の破片が胸に刺さり、友人が亡くなった。「ホースから水が出るように血が噴き出した。ずっと友人の名前を呼んでいた」と声を落とした。除幕を前に、吉川さんは「亡くなった人も喜んでいるだろうと言われた」とほほ笑んだ。
語り部もする2人には、すでに石碑前での証言を求める依頼が来ているという。上原さんは「合同石碑が、多くの人が訪れる平和祈念公園にできてよかった。これからも経験を伝えていきたい」と話した。