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沖縄で紡がれる縁 共感してくれる誰かとともに 河瀬直美エッセー <とうとがなし>(18)


沖縄で紡がれる縁 共感してくれる誰かとともに 河瀬直美エッセー <とうとがなし>(18) プラザハウスを訪れた筆者(左)と平良由乃さん(右)、國場幸伸さん
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 沖縄県立博物館・美術館で開催中の照屋勇賢「オキナワ・ヘヴィー・ポップ」展に知人からチケットを用意していただき行ってきた。美術館の入り口には、沖縄ツーリストの代表、東良和さんからのお祝いの蘭(らん)があって、10月に紅型小物のポップアップを開催した折に、照屋勇賢さんをご紹介したいと東代表から言われたことを想い出した。

 この場所は、米軍基地跡であることからも、本展覧会の意義が深く考察できるものとなっていた。会場入り口に掲げられたアーティストメッセージでは、「第二次大戦からの沖縄の苦悩が僕の作品の背景にある」と書いてある。少し構えて展示を見てゆくと、それらは消費社会への提言にもなっているが、作品として単純に美しく、「光」を意識して表現されていることに、とても感銘を受ける。と、同時に「今の沖縄の意識は1945年にリセットされたまま」というメッセージにもハッとする。

照屋勇賢「オキナワ・ヘヴィー・ポップ」展を訪れた筆者

 この3年近くのパンデミック禍に再度深く「沖縄」に関して感じようとすればするほどそれは掌(てのひら)からこぼれ落ちてまた振り出しに戻る。そんな感覚に陥っていた私に、大きな一つの答えをいただけた気持ちになった。

 「想像力」を持って超えてゆく作業が必要であること。そしてそれを共有すること。「沖縄」を感じることはアートを実践すること。そう明言する照屋さんだが、母・久子さんに感謝したいと結ばれたメッセージを見て、世界的現代アーティストではなく、母に手をひかれてアート作品を見ている1人の少年・照屋勇賢さんが垣間見えてとても親近感が湧いた。昨今の厳しい現実社会の中だからこそ、優しい眼差(まなざ)しと、そこに根ざした人間性が見てとれる展覧会だ。

 芸術の世界には答えがない。それを照屋さんは「ガイドラインのない航路」と言い切る。その言葉にとても共感する。答えもなければ、正解もない。でも、共感してくれる誰かがいると信じること。それはこの島国日本を超えて世界に「沖縄」を伝えてゆく感覚なのだろう。

 今回の旅では、沖縄市にあるプラザハウスにも訪問した。前日の夜にナガオカケンメイさんからご紹介いただき、代表である平良由乃さんとお食事を共にした。話せば話すほど、共通点が多く驚くばかりの展開。ひとつには母方のルーツが奄美であること。そして最近プラザハウスに入荷されたジュエリーは私が気に入ってほぼ毎日つけているHASUNAだったこと。

 はたまた、ショッピングモールにあるスターシアターズ系の六つ目の映画館となるシネマプラザハウスなどを展開する國場組の会長・國場幸伸さんがふらりと立ち寄られてお知り合いになれたことなど、人と人とのご縁を繋(つな)いでいただいた。

 1945年にリセットされる感覚と1954年に人々の集う場所としてオープンした日本で最初のショッピングモール。楽しいことも辛(つら)いことも同時にある「沖縄」が、そこに生きる人との交流とともに、私にとって団欒(だんらん)の場所となりはじめたことにチムドンドンしている。2023年の暮れゆく師走に、来年も、ゆたさるぐとぅ うにげーさびら。

(映画作家)