<金口木舌>兄弟都市の絆


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 大阪府豊中市から贈られた少年像「合奏」の除幕式で、大山朝常コザ市長は悲しそうな表情をしていたという。3人の子どもたちが音楽を奏でる姿を表現した像に、沖縄戦で亡くした3人のわが子を重ねていた

▼沖縄市と豊中市が「兄弟都市」となってから45年。沖縄こどもの国にある「合奏」像が修復された。20日の記念式典で、元沖縄市職員の幸地光英さん(83)が建立当時を振り返った
▼大山さんの長男、長女、次男は日本軍と行動を共にして本島南部で亡くなった。大山さんは戦争体験をばねに政界へ進み、基地経済からの脱却に奮闘した。亡くなる2年前に出版した「沖縄独立宣言」で「市民の生活を最優先させた」とコザ市長時代を振り返っている
▼コザ市職員だった幸地さんらは復帰を前に、インフラ整備の先進地として豊中市に派遣された。約10年間で100人余の職員が都市計画や下水道整備などを学んだ。両市の取り組みは「豊中学校」と呼ばれる
▼両市はピースフルラブ・ロックフェスティバルや豊中まつりなどの催事を中心に、今も交流を続ける。「合奏」像の修復は両市の関係者が設立したNPO法人が手掛けるなど民間交流も続いている
▼姉妹都市でなく「兄弟都市」なのは「いちゃりばちょーでー(一度出会えば兄弟)」に由来する。大山さんの志を継いだ兄弟の絆はさらに深まっている。