<金口木舌>日和山と阿部信さん


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 17世紀前半、琉球王国では異国船の接近などを知らせる遠見番所が各地に設置された。のろしで伝達し火立毛(ひーたてぃもー)とも呼ばれた。日本各地には「日和山」と呼ばれる山々がある。多くは沿岸部にあり、山頂から天候と出漁を判断するなど暮らしに密接していた

▼宮城県石巻市にも日和山があり、公園が整備されている。東日本大震災の発生から1年後に訪れると、震災がれきが沿岸に高く積み上がっていた。それから7年ぶりとなる昨年3月、再び訪ねると、がれきは消えていた
▼震災で長男を亡くした阿部信さん(71)が声を掛けてきた。日和山を訪ねる人に体験と教訓を伝えている。震災後に移り住んだ自宅からほぼ毎日、自転車で30分の距離を通う
▼個人がそれぞれの判断でいち早く逃げる「てんでんこ」に触れ「命を守るため何よりも大切なこと」と強調した。長男や震災後に離れて暮らす孫への思いも語った
▼日和幼稚園では園児5人が亡くなり、遺族が建立した石碑も阿部さんは案内した。刻まれた詩には園児の名がちりばめられ、締めの句は「あなたの笑顔にまた会いたい」。孫も同じ園生だった
▼雪が降る中、阿部さんは「話すと自分自身が楽になるんだ」とつぶやいた。今月、電話で話した。「今も通っている」。震災直後と比べ、最近は訪ねる人も減っている。阿部さんはこれからも日和山に通い、語り続ける。