<金口木舌>未来を築くハンマー

 「私は野嵩高校の卒業生だ」と語る方とお会いしたことがある。口調はやや誇らしげであった。野嵩高校は1946年に開校し、57年に普天間高校に変わった。野嵩高時代の卒業生は80歳を超える

▼開校時から3年ほど野嵩高が置かれた宜野湾市役所の裏手を歩いた。国道330号からやや入ったところ。コンビニや飲食店が点在する住宅地にかつてあった高校の痕跡を見つけることはできなかった
▼小説家の大城立裕さんは約2年間、ここで教壇に立った。「私は軍国主義、天皇崇拝の教育を受け、挫折した。こういう思想的挫折を後輩たちに味わわせたくなかった」と本紙に語っている
▼大城さんは先日、教師時代を回想した自伝的小説「焼け跡の高校教師」(集英社文庫)を発表した。そう、焼け跡に立つ生徒であり、教師であった。肉親や学友を亡くした者同士が集い、学び合った
▼「教科書はなかった。かばんの中に入っているのはハンマーだけ。自分たちで机や椅子を作り、高校をつくった」。野嵩高卒業生の一人が語ってくれた。知念やコザなど同時期に開校した高校も似たようなものだったろう
▼焼け跡を歩む生徒はハンマーと一緒に生きる希望や決意をかばんにしのばせていただろうか。学びやをつくることが沖縄の復興にもつながった時代であった。未来を築くハンマーを私たちも持ちたいと思う。



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