<金口木舌>タンメーが残したメッセージ

 天真爛漫(らんまん)、やんばるの自然児。さまざまな逸話がある人であった。北部農林高校で長年教えた園原咲也さんのことである。1981年7月に95歳で亡くなった。教え子は親しみを込め「タンメー」と呼んだ

▼逸話が一つ加わった。85年ほど前に作った貝の標本が岐阜県の小学校で見つかった。海を知らない子どもたちのために贈ったようだ。標本は近く、園原さんが長く暮らした名護市に帰ってくる
▼1885年、長野県の生まれ。1912年、沖縄県職員となり、39年から県立農林学校で教えるようになった。植物研究、林業・農業教育で功績を残した。といっても普通の先生ではなかった
▼教え子で琉球大名誉教授の比嘉照夫さんの回想録によると、地域の中学生の間で「北農には山羊みたいな先生が居る」「草や木の葉を食べるので生活費も殆どかからないらしい」という噂(うわさ)が広まっていた
▼沖縄の自然を愛し、泡盛を愛した。ただ一つ、戦争を憎んだ。10・10空襲で蔵書や標本を失った。教え子も戦争に巻き込まれた。「あの当時、戦場に生徒を動員してバカらしいことをした。自由に遊ばせておけばよかった」。67年の本紙取材に答えている
▼山を駆けた植物博士が海岸で貝を拾い集める姿を想像する。子どもが好きだったのだろう。戦争で焼けずに済んだ貝の標本。園原さんが残したメッセージにも思える。



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