<金口木舌>特急なは号


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 国道58号は鹿児島を起点とすることはよく知られている。種子島、奄美大島を経て沖縄へ。総延長に海上区間も含まれるのは不思議だが、国道では最大延長となる

▼58号が1号線と呼ばれていた頃のこと。「本土に沖縄名の列車を走らせよう」という運動があった。本紙が1967年に提唱した。約5200通の応募があった
▼西銘順治那覇市長、沖縄教職員会の屋良朝苗会長ら選考委員が応募トップの「おきなわ」、同数3位の「でいご」と「ひめゆり」、22位「なは」、33位「しゅり」に絞る。この中から国鉄が選定して大阪―西鹿児島間の特急「なは」が誕生した
▼特急名は沿線にちなむ当時の慣例にはそぐわない。沖縄への往来は鹿児島からの船が主で、国鉄は「海を越えて起点は那覇」と判断したようだ。沖縄返還の機運の高まりもあった。鉄路は途絶えていても施政権返還の思いをつなぐ「なは」号誕生だった
▼ゆいレール旭橋駅の一角にヘッドマークが残るブルートレインの「なは」が“復活”する。鹿児島で雨ざらしになっていた車両を香川で宿にする計画だ。クラウドファンディングに延べ900人から約1700万円が寄せられた
▼ブルートレインの文化や歴史を残したいとの計画に賛同が広がった。鉄道文化の継承に合わせ、戦後沖縄の歴史を伝える役割も担う新生「なは」にいつか泊まってみたい。