<金口木舌>31文字に込めた「復帰」とは


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「祖国への道は険しく遠き日のまま基地も核も我にまつわる」。1970年2月の本紙「琉球歌壇」に載った一首だ。日本復帰に沖縄側が望んだ「即時無条件全面返還」は、返還交渉の過程でほごにされた。短歌に落胆ぶりがにじむ

▼復帰前の琉球歌壇には憤激、無念さを込めた短歌がよくある。県内歌壇の重鎮・屋部公子さんは「復帰運動に加わった人の中には、短歌で自己を表現する人もいた」と振り返る
▼日米両政府が沖縄返還を発表したのは1969年。翌年70年、米軍は基地労働者の大量解雇を発表した。「高らかに即時復帰をさけび来て大量解雇にとまどう島人」。「琉球歌壇」に基地のない沖縄を望む一方で、仕事を失う心配と、生活の糧を求める矛盾した気持ちを表した短歌が投稿された
▼復帰当時、県民には復帰に対する不安があったという。戦争の可能性は低くなるのか、人権は保障されるのか、自分らしく生きられるのかなどだ。かつて東江平之琉大名誉教授が指摘していた
▼「琉球歌壇」は復帰後も沖縄の世相を映してきた。不安は解消されたのだろうか。来年は復帰から半世紀を迎える。戦のない平和な沖縄を願った人々の思いと裏腹に、新たな基地建設が進められている
▼最近の歌壇からもう一つ。「埋め立ての止まざる辺野古見おろしてゼンマイ次々疑問符を伸ばす」。変わらぬ現実が横たわる。