<金口木舌>八重山の青空


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 先月22日付本紙で紹介したひめゆりの塔の鮮やかなカラー写真を幾度も見返した。撮影は1953年10月。澄んだ青空が印象に残る。先週続いた土砂降りのせいもあったろう

▼敗戦から8年。沖縄は復興の途上にあり、戦争の傷がまだ癒えぬ時期でもある。激戦地に広がる青空に戦争で多くを失った県民の悲しみを見る。同時に鬱屈(うっくつ)した空気を吹き払うような解放感を感じる
▼この日、八重山に青空が広がっただろうか。1945年12月15日、八重山自治会結成の日である。敗戦後の混乱期に生まれた自治機関を「八重山共和国」と呼んだのは歴史学者の大江志乃夫さん
▼発足直後に米軍が軍政を敷き、自治会は短命に終わるが、大江さんは歴史的意義を高く評価し、こう論じる。「地域住民が住民自治の独立の自治体を樹立し、国家権力から絶縁した“小共和国”を建設した」
▼梅雨は明けたというのに、八重山は分厚い雨雲に覆われているかのよう。石垣市議会が、市自治基本条例から住民投票に関する条文を削除した。国家権力の意に沿うような決定であり、自治の後退となるのは間違いない
▼「地方自治の憲法」とも言われる自治基本条例を沖縄で初めて定めたのは石垣市であった。八重山自治会を含むさまざまな歴史的経験が生かされたであろう。手放してよいのか。青空の下で条例の価値を今一度見直してほしい。