<金口木舌>唄の生まれる街で


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 沖縄戦後初の民謡が生まれたのは屋嘉収容所だった。空き缶で作った三線で捕虜を意味するPWの心情を歌った「PW無情」がその歌だ

▼同じころ石川収容所で、後に「戦後最大のエンターテイナー」と称された照屋林助さんが、師と仰ぐ小那覇舞天さんに声を掛けられ、家々を回った
▼2人は戦争でほぼ全てを失った人たちに「ヌチヌグスージサビラ!(命のお祝いをしましょう)」と歌い踊り、復興への勇気を振りまいた
▼その後コザを拠点にした林助さん。生前の功績をたたえ、毎年4月に多くの芸能関係者が無報酬で出演してきた「コザてるりん祭」が始まったのは2009年。同じくコザで活動した故・登川誠仁さんら大物も出演した。時代の荒波を歌い、時に笑いに昇華させて強く生きてきたコザならではの祭りだ
▼そのてるりん祭もコロナ禍で中止してきたが、3年ぶりに小規模ながら再開するという。コロナに大切な命も奪われ、経済も疲弊した。「てるりん」なら、この時代にどう県民を笑わせるだろう。唄三線を堪能しながら考えたい。