<金口木舌>歴史の道


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 内閣府の沖縄担当部局を担当していた頃、幹部との雑談で沖縄の道路行政について意見を聞かれたことがある。「沖縄は渋滞がひどい。どうしたらいいと思うか」

▼本島中部出身の私は国道を車で走るとすぐに渋滞にはまるのが日常茶飯事だった。米軍基地に挟まれて右にも左にも迂回(うかい)できずにイライラしたことが何度もある。基地返還の必要性を挙げた
▼幹部職員は高規格道路の少なさを問題視した。国道58号などの幹線道路に脇道などから簡単にアクセスできてしまい、渋滞につながると指摘した。その解消になるか。現在は各地で高規格道路が増えている
▼今思えば、幹部の指摘も米軍基地の存在が背後に見え隠れする。国道58号になった軍道1号など緊急時は航空機が離着陸できる機能があった。軍事優先の米統治下が影響したと言える
▼7月30日は沖縄の日本復帰から6年後の1978年、車の通行帯が右側から左側に切り替わった「ナナサンマル」の日だ。沖縄の道路の歴史を振り返りながら、内包する根本的な問題も見つめ直したい。