<金口木舌>ユネスコの原点


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 若い世代にはジョン・カビラ、川平慈英兄弟の伯父と言った方が通りは良いか。戦後沖縄の文化活動で多彩な顔を持った故川平朝申さんに話を聞く機会があった。22年前である

▼敗戦直後の約1年間、沖縄の文化復興に関わったウィラード・A・ハンナ博士の訃報に関する談話を頂いた。「伝統芸能の復興や文教政策に尽くした本当の文化人だった」と回想した。2人は同世代であった
▼ハンナ博士は焼け残った各地の文化遺産を集め、石川に沖縄陳列館を設けた。川平さんも首里城の遺構保存に関与した。戦争による文化破壊を知るゆえであろう。川平さんは長く沖縄ユネスコ協会で活動した
▼会長職にあるころ、会員不足に頭を痛めたようだ。1988年に本紙に寄せた随想で川平さんは嘆いた。「反戦平和を叫んでいる多くの愛する兄弟たちが、ユネスコ協会の会員になろうとしないのはどうしたことか」
▼こちらも嘆かわしい。南京大虐殺資料のユネスコ記憶遺産登録で日中の対立が続く。明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録では日韓がぶつかった。存命なら、川平さんは何を思うか
▼歴史認識の溝は深いが、対話を重ねるしかない。ユネスコ憲章前文に「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とある。この原点に立てば、おのずと道は開けるはずだ。