<金口木舌>言葉の重みと「伝える」責任

 真実やニュースの本質を伝える大切さなど、取材を繰り返す日々は自問自答が続く。そんな中で各記者たちは読者に知ってほしい、心に届けたいと記事を書く

▼10月29日、「伝える」責任を痛感させられた。名護市瀬嵩の丘の頂上、本土メディアの記者が現場中継のリハーサルで「普天間移設問題は19年がたち、いよいよ名護市辺野古へ動きだします」との原稿を読み上げていた
▼新基地建設に向けた埋め立て本体工事の作業が着手された日。作業を確認しようと報道機関が殺到した現場での一言だった。国の強行策を支持する言葉に聞こえた
▼同じ気持ちを抱いた人は他にもいた。海上作業に抗議する市民船の船長、相馬由里さんだ。この日は丘からの監視役で、仲間との携帯電話のやりとりが徐々に涙声に変わっていった
▼「『いよいよ』だなんて、ひどい言い方だ。あの記者を現場で見たのは初めて。県民の声を知らないのではないか」。相馬さんが目を真っ赤にし首を横に振る。「いよいよ」が運動会や遠足を待ちわびる子どもの期待にも聞こえたのだろう。悔しさがひしひしと伝わった
▼報道する側の意識次第で受け取り方も変わろう。自戒を込め伝える大切さを心に留めたい。ニュースを「人ごと」ではなく「自分ごと」と考える当事者意識を育ませる。その工夫こそが新聞の役割だ。11月は「NIE月間」。



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