<金口木舌>社会の包容


この記事を書いた人 Avatar photo 宮城 菜那

 もう20年以上前になる。今も時々思い出す。北海道で新聞記者をしていたころ、同業の記者に聞いた話だ。所持金10円の少女が関西から札幌まで来て補導された

▼女子中学生が所持金もなく、こんな長距離を移動できたのは、今で言うソーシャルネットワーキングサービス(SNS)の走り、ダイヤルQ2を活用したことにある。当時はまだ公衆電話が主流だった
▼10円を投入して音声情報の交換をする。そこで男性と出会い、金を無心しては旅を続けた。たどり着いた札幌で警察に見とがめられて旅は終わった。同業の記者は「10円玉の青春」と見出しをつけ、少女の心をむしばむ社会を伝えたという
▼金の無心が言葉だけで済むはずもなく、10円旅行の背景には判断能力に乏しい少女を翻弄(ほんろう)する大人の存在もあった。子を食い物にする「非道」もあれば、今も子を「惑わす」社会を私たちは引きずったままである
▼うるま市で発生した乳児遺棄事件。「どうしていいか分からなかった」と少女は言った。生まれて間もなく遺棄された子もふびんなら、解決策を見いだせず、動揺を続けた少女の気持ちもいかばかりか。胸が痛む
▼いまだに子を苛(さいな)んで変わらぬ世相を反省しつつ、何ができるか。せめて生きるための知恵を伝え合い、何が起きても包容できる社会でありたい。言葉のつぶてをぶつけてばかりでは何も解決しない。