<金口木舌>就活への号砲


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 小津安二郎監督の1929年の無声映画「大学は出たけれど」は、昭和初期が舞台のモノクロ映画だが、こっけいさの中に、今も変わらぬ切なさも伝わる

▼就職活動をするも、どこにも採用されない主人公は田舎の母親を安心させようと「仕事が決まった」とうその手紙を書く。真に受けた母は許嫁(いいなずけ)を伴って上京する。朝、出勤するふりをして家を出る主人公の姿が哀愁を誘う
▼当時は大卒の就職率が3割程度という不況の底。学生の就活も過熱し、学業そっちのけの状態になった。映画の前年には、大手企業と有名大学が「入社試験は卒業後に行う」と決めた。就職協定の起源となった取り決めだ
▼学業重視をうたい文句にしてはいても、協定をつくっては破り、見直しを繰り返した87年といえまいか。来年の大学生の採用選考開始は2カ月前倒しされ、6月からとなる。ことし、従来の4月から8月に遅らせたばかりだが、わずか1年で方針転換だ
▼ことしは選考期間が短くなり採用活動が集中した上に、一部の企業が“フライング”して採用を早めた結果、かえって就活期間が長引いた
▼かねて遅いと言われた沖縄の就活時期も本土に近づいてきた。いまだ決まらず焦る学生も多いだろう。でも仕事への意欲があれば拾う神はある。と、就職浪人した二十数年前を思い出し、学生さんに小さな声援を送る。