<金口木舌>情報はだれのものか


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 作家赤川次郎さんの著書「東京零年(ぜろねん)」(集英社)は、国家の情報統制下における管理社会の怖さを軽妙な筆致で描く。個人情報は吸い上げられ、官製情報が支配する社会。犯罪でさえでっち上げる為政者の恣意(しい)的政治をつづる

▼格言にある。「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」。今では難解な道理は、民には理解できないと高をくくる為政者の傲慢(ごうまん)な姿を指す意で使われることが多い。「東京零年」は情報がいかに民にとって大事か、誰のものかを考えさせる
▼国の土壌環境基準値の約2倍ものダイオキシンが検出された。沖縄防衛局が11日に北谷町へ説明した。記者が町に内容を問うと、こんな回答だった。「知ってはいるが、防衛局の実施した調査なので答えられない」
▼検出された地域の住民へも即座に詳細な情報は伝えられていない。ややもすれば生活の脅威となる環境汚染についての情報である。調査主体が違うという理由で答えられない情報であろうか
▼私費で賄い、あるいは民間調査というなら百歩譲ったとしても、公の機関が収集した情報は本来、国民、住民のものである。木で鼻をくくるような返答としか思えない
▼「知らしむべからず」なる統治手法を身近な行政が追認しては住民の立つ瀬がない。国の調査した情報なら、押し頂くような類いのものではなかろう。高邁(こうまい)であるべき地方自治の本旨が泣く。