<金口木舌>70年前の「ごめんね」


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 優秀賞の1作は高知市の女子高校生。学校へ送ってくれる父親の軽トラックを「恥ずかしいと思っていてごめんね」と謝り、「三年間ありがとう。卒業式もよろしくね」と書いた

▼高知県南国市後免町(ごめんまち)が開く全国コンクール「ハガキでごめんなさい」。南国市で幼少期を過ごした漫画家のやなせたかしさんが「ごめん」という独特な地名を町おこしに生かそうと提案して始まった
▼「ごめんね」と言いそびれたことは誰にもある。素直な思いの吐露はみんなの心を温める。やなせさんが生んだアンパンマンも、敵役のばいきんまんを徹底的にはやっつけない。「ごめんね」と言う余地を残す
▼珍しい地名を生かすのもやなせさんらしい。沖縄でも可能だ。恩納村なら活躍する女性のコンテスト、本部町ならリーダー的住民を「○○本部長(ほんぶちょう)」にするとか。駄じゃれでも生かさない手はない
▼大賞は新潟市の98歳の男性だ。終戦翌年、乗った列車が長時間停車した際、支給された白米を集めて炊くと申し出た女性たちを「持ち逃げ?」と疑った。その後渡された炊きたてのご飯に涙が出たとつづり「心から深くおわび申し上げます」と謝った
▼70年近く言えなかった「ごめんね」。でも70年たっても心からの謝罪はできる。先の大戦で多くの人を傷つけたことへの反省の心さえあれば。この国から謝罪の言葉が届いていない人たちは、まだいる。