<金口木舌>私たちはどうやって来たか


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 「名も知らぬ 遠き島より」で始まる島崎藤村作詞の唱歌「椰子(やし)の実」。作詞のきっかけは後に日本と沖縄を連ねる交通路を「海上の道」と称した民俗学者の柳田国男の話だった

▼東京帝国大学2年生だった柳田は、愛知県の岬に流れ着いたヤシの実に「黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ。岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だ」と確信した
▼ロマンあふれる砂浜の漂着物だが、もっともっと時をさかのぼり、私たちの祖先は海に囲まれたこの島にどうやってたどり着いたのか。その謎に2年がかりで挑戦する計画がある
▼約3万年前に人類が台湾から南西諸島を北上した「沖縄ルート」を、国立科学博物館が実際に舟で渡るというのだ。今夏は与那国-西表を渡り、来夏に台湾-与那国を航海する
▼約20万年前にアフリカで誕生した原生人類が日本に渡ったのは約3万8千年前とされる。渡来は北海道、対馬、沖縄の3ルートが考えられるが、同館の海部陽介さんらのグループは最も航海が難しかったと思われる沖縄ルートに挑む
▼私たちの祖先はヤシの実のように漂着したのではなく、意志を持って世界最大の海流・黒潮を横断したと海部さんは見る。水平線の向こうの見えない世界をなぜ目指したのか。どんな技術を使ったのか。人類挑戦の歴史は、研究者たちの情熱で解き明かされるかもしれない。