<金口木舌>バスに乗って


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 きょうで5年と1日。連日の東日本大震災報道にあらためて関心を寄せる人も多い時期だろう。やはり会話に上る機会も増える

▼大震災5年前夜の10日、大津地裁の運転差し止め決定による高浜原発3号機の停止や「まだ終わっていない」という被災地の声を一斉に伝え終えた深夜のテレビ。裕福な大学生が高級品を“爆買い”する様子にぼんやり見入る
▼震災と原発事故後の福島、宮城をおととしと去年、訪れた。息を止め、目を凝らすのもいかがなものかと平静を装ってみたり。浪江町で親族や自宅を流され、家族と離れて近隣の仮設住宅に暮らすというバス運転手の温かみのある強いなまりが耳を刺した
▼南相馬市を出た街道は工事関係のトラックでいつも大渋滞。寒々しい更地で重機が土ぼこりを上げる。途中、バスは警官に迂回(うかい)を指示された。前方で重体者の出る大事故。細い脇道に入ったバスは猛スピードだ
▼復旧のためとはいえ、工事車両や作業従事者の日常生活への大量流入に不安を覚える住民も少なくないと語る運転手。ダンプにはねられて亡くなった女子高生もいる。戦後沖縄で“復興”の周辺にあったはずの負の風景をふと思う
▼回り道したから「料金はいい」と言われ、感謝して降りた。節目なき現実の重さに言葉を失ってばかりもいられない。あのバスを何度でも思い出し、何ができるかを考える。