<金口木舌>じぶんのあたまで


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 あす20日で地下鉄サリン事件から21年。随筆家でイタリア文学者の須賀敦子の18回忌でもある

▼昭和4年に兵庫で生まれた須賀は聖心女子大卒業後、モラトリアムを経て29歳、イタリアのミラノでコルシア書店と出合う。大戦末期、ファシズムに抵抗したパルチザンの知識人らが市民と共に闘争理念を追究した拠点だ
▼詩人との結婚と死別を経て42歳で帰国、イタリア文学翻訳を手掛けた。61歳で刊行した随筆「ミラノ 霧の風景」で脚光を浴びた。69歳で急逝するまで宗教や社会に真摯(しんし)に向き合う言葉が読者を虜(とりこ)にした
▼「じぶんたちの国の、ほんとうはじぶんたちを守ってくれるはずの軍人たちによって死に追いやられた〈ひめゆりの塔〉の女学生たちと、私はほぼ同い年だ」(須賀)。小説家の松山巖は16歳で迎えた敗戦が彼女の原点と指摘する
▼解放闘争で刑死したパルチザンの若者と、体制に抵抗する意思すら奪われた日本の若者と。「じぶんのあたまで、余裕をもってものを考えることの大切さを思う。五十年まえ、私たちはそう考えて出発したはずだったのに」
▼13年前の3月20日、嘉手納基地周辺を走る車中でAFNの米軍バグダッド侵攻を聞き、絶望した。偶然ほぼ同時に親友の親族の訃報を知る。「自由」の大義で殺される市民と身近な死が交錯した1日。亡き人を思い、平和や自由への責任を考える。