<金口木舌>航海を引き継ぐ


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 1954年3月の水爆実験で被ばくした第五福竜丸の漁労長、見崎吉男さんが17日、90歳で亡くなった。ビキニ環礁で起きた事件から62年。核の恐怖を見詰め、平和を説いた「心の航海」を終え、静かにいかりを下ろしたように思う

▼事件後、病床でつづった手記を、東京の第五福竜丸展示館で読んだことがある。「私が背負える範囲において罪を償いたい」と自身の責任を問い、水爆実験を「政治、思想を超越した問題」と記した
▼事件で船を下りた後も乗組員やその家族、母港のある静岡県焼津市に対する責任と向き合った。晩年、自らの体験を子どもたちに語った。核廃絶を求める元漁労長の航海が続いた
▼米軍統治下の沖縄も事件を深刻に受け止めた。54年3月21日、本紙社説は「第二次戦争の侵略者たちは文明に対する罪として処断されたが、原爆は文明どころか、人類や人道に背く罪だともいえる」と厳しく論じた。今も修正する必要がない警告だ
▼時代は動いている。オバマ米大統領がキューバを訪問した。核戦争に直面したキューバ危機から54年を経て、両国の和解が進む。日本では安保法が施行される。「国のかたち」が歪(ゆが)んでしまった
▼見崎さんの手記の末尾に「暗い未来を考えないこと。微笑を忘れないこと」とある。苦悩の中で手放さなかった希望だ。この言葉を胸に、平和の航海を沖縄で引き継ごう。