<金口木舌>語れない人の分まで


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 講話や会議の予定で埋まった手帳。自らワープロで打ったり新聞記事をまとめたりした学習資料。オスプレイ配備に抗議するお手製の赤いリボン

▼「体力がついていかない」。白梅同窓会長の中山きくさんが代表を務めた「青春を語る会」が活動を終えた。元女子学徒が戦争体験を伝えていこうと最大で八つの学徒隊28人がいたが、年々会員は減った。沖縄戦当時16歳だった中山さんは87歳
▼「自分の時間というのはない」。講話掛け持ちはざら、自宅では資料作りに時間を費やす。4年前のオスプレイ配備では新聞記事を会員に分かりやすく伝えた。「戦争をしてはいけない」と伝えるため余暇そっちのけで取り組む
▼沖縄戦や基地問題の節目で表舞台に立った。そのさなか長年会っていなかった元学徒と再会した。戦場で絶望し、手榴(しゅりゅう)弾で死のうとした中山さんに「死ぬのは絶対いや」と言った本永千代さんだ。記憶を手繰り、「津波きく」と何度か中山さんの旧姓を口にした
▼生き延びた戦争を語り、繰り返してはならないと伝えてくれる人が、いて当たり前ではなくなりつつある。その不在を知ってか、集団的自衛権行使を可能にする安保関連法施行が堂々まかり通る
▼語る会の何げない雑談に浮かんだのは10代だった元学徒の姿、そして長生きしてここにいるはずだった人たち。身近でもいい。長く生きた人の話を聞こう。