<金口木舌>どう考えても


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 作家篠田節子さんの著書に「斎藤家の核弾頭」がある。管理された階級社会の上位にいた主人公が一転、「役に立たない人間」との烙印(らくいん)を押され、理不尽な国家に抵抗する

▼主人公の職業は裁判官。失職し、転落した原因は裁判のコンピューター化だった。争い事をパターン化し、豊富に蓄積すれば、事案の要件事実を入力するだけで、一瞬にして判決が出てしまう
▼コンピューター処理能力が飛躍的に向上すれば、あながちあり得ない話でもない。実際、そんなことを想起させるようなパターン化された判決が現実社会でも続いている。嘉手納、普天間の爆音訴訟がそれ
▼普天間の第2次訴訟は3月24日に結審した。飛行差し止めを争点とした訴訟は、ことごとく「第三者行為論」で退けられている。米軍の飛行は日本国の指揮権、管理権が及ばない第三者の行為で、日本国が差し止めを求められないとする
▼判決は年内に言い渡される見通しである。過去の判例をなぞるような判決になるのかが焦点となる。同様な事案で判決に違いがあれば、法的安定性が損なわれるとの指摘もあるが、間違いは正すべきである
▼それにしてもだ。住民が多大な迷惑を被り、裁判所がそれを認めて賠償命令を出す。だが、根本的原因の爆音は放置されたまま。そんな堂々巡りがいつまで続くのか。どう考えてもおかし過ぎる。