<金口木舌>ヤフーの20年、普天間の20年


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 大手検索サイトのヤフー・ジャパンが1996年4月に運営を始めて20年を迎えた。ネットを使えば1日数回はヤフーのお世話になる。翌月には本紙もホームページを開設した

▼仕事や暮らしの場にネットが入り始めた時期である。同僚と試行錯誤の末、ヤフーのサイトにつながり「開通記念」と称して祝宴を開いたのを思い出す。この感動と驚き、ことしの新社会人には理解できまい
▼20年を記念したヤフーの特集ページにインターネットの歴史絵巻が載っている。これこそ試行錯誤の歴史である。人間の好奇心に突き動かされた歴史とも言える。ネット界の栄枯盛衰も一覧できて見応え十分だ
▼ヤフーの20年は普天間問題の20年と時期が重なる。全面返還合意も96年4月だった。「基地押し付け」と「新基地ノー」のせめぎ合いを歴史絵巻にすれば、さまざまな顔ぶれや出来事が描かれよう
▼4人の県知事に4人の名護市長、10人の首相、3人の米大統領が登場する。辺野古を舞台に、いくつかの代替施設が浮かんでは消える。合間を埋め尽くすのは怒りの拳。この20年で県民の足腰は強くなった。日本政府、国民全体はどうか
▼ヤフーで米軍普天間飛行場を検索すると、49万3千件の関連語が引っ掛かる。玉石混交なれど政治を動かす力にもなろう。「急がば回れ」という軽薄な言葉をはね返すのも20年の蓄積だ。