<金口木舌>秋山ちえ子さんと沖縄


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 松下幸之助、市川房枝、岡本太郎…。琉球新報新聞博物館には来社した著名人の署名が展示されている。亡くなった評論家・秋山ちえ子さんの達筆もある。1981年に新報ホールで講演した時のものだ

▼秋山さんが初めて沖縄を訪れたのは復帰前の61年3月。「自分の目と足で沖縄の実情を見たい」と11日間滞在し、離島にも足を延ばした
▼伊江島では阿波根昌鴻さんから米軍の弾圧と土地闘争を聞いた。「日本の闘士は居丈高で誇張やはったりが多いのに、沖縄の闘士阿波根さんは誠に素朴で淡々と真実味にあふれている」と語っている
▼翌月、本紙に寄稿し、初の沖縄を「近くて遠い所」とつづった。地元の大学教授から日本に虐げられた歴史を聞き、「日本の一部と信じ切っているのに拒否された思い」「本土の犠牲になった沖縄に対して、その幸福を真剣に考える責任がある」と記した
▼以来、何度も来県し、沖縄通に。66年には広島で被爆した沖縄の母娘を訪ね、診断を受けるよう促している。海洋博協会の委員や、代理署名を拒否した大田昌秀知事を支持する知識人の会にも名を連ねた。「沖縄ファンクラブ」の参与は晩年まで務めた
▼今、沖縄では政府の新基地強要が続く。半世紀以上前に秋山さんが感じた「近くて遠い」距離は変わっただろうか。後ずさりしているのはどちらか、天界からは見えますか。