<金口木舌>言葉と日本復帰


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 「ごみ」のことを「ちり」と言ったり、傘を「さす」ではなく「かぶる」と言ったり、「正座」ではなく「ひざまずき」-。話し言葉のちょっとした違いに気付いたのは、本土の大学に進学してからだった

▼微妙なイントネーションの違いにも劣等感を覚える経験は、県外で暮らせば誰もが通る道だろう。かつては県出身者が本土で言葉が標準語的でないと解雇されたり、遠くは海外の移民先で同じ日系人から差別を受けたり、ウチナーンチュにとって言葉の壁は大きかった
▼最近は全国区で活躍する県出身の歌手や芸人らのおかげで、多少のなまりも「個性」として受け入れられるようになった。しまくとぅばの復興でウチナーンチュ自身「このままでいいんだ」という自信や誇りを取り戻し始めている
▼政治家もあいさつの場でしまくとぅばを織り交ぜるのは、もはや日常だ。保育園などでも「くゎっちーさびら」と昼食時に手を合わせる光景を見掛ける
▼とは言っても「だからよー」「上等」などとは話せても、高齢者が話すうちなーぐちを聞き取れず、話せない人が増えた。かつての同化政策の影響は根深い
▼沖縄の施政権が返還されて、きょうで44年となる。本土に追い付き追い越せと「本土化」するうちに見失ったものは言葉だけか。44年たっても埋まらない格差の理由は何か。今後どこを目指すのか。考える日にしたい。