<金口木舌>「琉球」の解放


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 突然、風が吹いた。木々は波打ち、線香の煙が立ち込めた。「喜んでいる、喜んでいる」。先祖の歓喜を感じた墓参者が思わず声にした

▼今月17日、沖縄からの墓参団29人が中国・北京の琉球人埋葬地を訪れ、鎮魂の祈りをささげた。そこには1879年の琉球併合前後に中国へ渡り、救国運動を展開して客死した琉球人が眠る
▼墓参団は「一緒に帰ろう」と声を掛け「平和な沖縄の実現」を誓った。亡命琉球人の指導者・幸地朝常の親族である渡久山朝一さん(67)は「救国運動は遠い時代の出来事ではなく身近に感じる」と語った
▼渡久山さんの祖父は最後の琉球国王・尚泰の付き人で、朝常のいとこに当たる。朝常が中国にたつ際、尚泰は祖父に港近くの丘に「旗を立てなさい」と指示したという。親族で今も語り継がれている
▼「恐るべからず屈すべからず」。朝常はこう言って、日本官吏に屈するなと琉球人を鼓舞した。大和に支配された琉球には帰りたくないとも話したという。渡久山さんは「亡命した仲間が次々に死ぬ中で、帰りたくても帰れなかったのだろう」と推し量る
▼さて今の「琉球」。米軍属女性死体遺棄事件が起きた。埋葬地に眠る琉球人たちは帰りたいだろうか。救国運動から約140年、植民地状況からの解放はまだ道半ばである。歴史をたどると、沖縄の苦悩はあまりにも深く、長過ぎる。