<金口木舌>存在した証し


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 戸籍と本人が主張する名前が違う。生年月日が違う。戦前から戦後間もなく生まれた年配の方の取材ではよくあることだ

▼宜野座村宜野座に住む仲間タケさん(80)の取材で同様な経験をした。タケさんはテニアン生まれ。戸籍には「竹子」とあるが、「タケ」で通した。生まれた年も、記録と親から聞いた記憶が食い違っている
▼家族でパラオに移住した後、3人のきょうだいができた。だが戦争による食料不足で栄養失調になり、母親ときょうだいを同時期に亡くす。小さな亡きがらを埋めた記憶はあるが、顔は思い出せない
▼戸籍にもない仲間さんのきょうだい3人の名前がことし、平和の礎に追加刻銘された。礎には、母親の名前しかなく気掛かりだった。最近、追加刻銘を知り、手続きした
▼6人家族で戻れたのは兵隊に取られた父親と仲間さんだけ。寂しかったのではないか、と聞くと首を振った。帰郷後、父親が再婚して7人の弟ができ、世話に追われた。「寂しい思いをする暇がなかった」という。激動の戦後を生き抜いた人々の苦労がしのばれる
▼「3人のきょうだいの名前を残したかった」と仲間さん。「戸籍への登録はどうすれば」。そう聞かれ、役場の担当者を紹介した。戸籍など家族が存在した証しさえ残っていないことがどれほどつらいか。同様な人は多いはずだ。沖縄戦の傷痕はいまだ癒えない。