<金口木舌>本部生まれの名護マサー


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 19日の県民大会を巡って、さざ波が起きている。公明党県本部は革新色が強いと難色を示し、自民党県議団は場所変更を求める。そんな今、あの人の処方箋を見たかった。先日亡くなった玉城義和さんのことだ

▼1995年の10・21県民大会の事務局長であった。辺野古新基地建設に反対する「島ぐるみ会議」でも事務局長を担った。常に反基地運動の現場にいた。元気なら、今大会の真ん中で声を上げていたはずだ
▼98年2月の名護市長選を思い出す。投票の前日、最後の訴えの場に現れた玉城さんの顔は焦燥感に満ちていた。辺野古移設反対を掲げ、国策に挑んだ選挙の厳しさをひしひしと感じているようだった
▼市長選の翌年だったと記憶する。「彼は市長というより文学者、ロマンチストだよ」と岸本建男市長を評したことがあった。普天間問題で呻吟(しんぎん)する岸本さんの姿に何を思ったのだろう。その玉城さんはオルガナイザーとして運動を組織し、引っ張った
▼市長選を戦った2人がこの世を去った。今、あらためて思うのは基地の負担を押し付け、市民を引き裂いた政府の罪深さだ。この不条理に市民、県民は耐えてきた。新基地建設は止まったままだ
▼数回、酒席を共にした。飲むほどに雄弁になった。玉城さんなら、さざ波を見詰めて何を語っただろうか。「本部生まれの名護マサー」の振る舞いを想像している。