<金口木舌>追悼の6月22日


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 23日の「慰霊の日」の前日、名護市の国立療養所沖縄愛楽園で「追悼イベント」が行われた。沖縄戦の慰霊祭ではない。亡くなった全ての入所者を悼むためのものだ

▼6月22日は2001年、ハンセン病患者への補償や名誉回復などを盛り込んだ法律が制定された日だ。厚労省は「追悼の日」と定め、09年から式典を開催している
▼沖縄愛楽園自治会では式典とは別に、入所者の人生や思いを振り返り追悼する場を検討し、今年初めて開催した。あいさつが続く追悼式とは違い、演奏や歌を挟んで入所者の証言が次々と朗読された
▼親やきょうだいと引き裂かれ、子を産まないよう堕胎、断種を迫られる。沖縄戦では多大な被害を受け315人が亡くなる。社会に出た退所者を根強い偏見と差別が待っていた
▼「なぜ私を産んだの」「(断種し)人間として全て葬り去られた」「両親に責任はない。兄弟にも責任はない。おのおの一人一人の旅だから」。理不尽な仕打ちに苦しみながらも生き続けた人々の思いが、朗読者の声から伝わり、胸が締め付けられた
▼強制隔離政策の歴史を伝える「交流会館」が開館し、今月1日で1年を迎えた。人間が人間にした恐ろしい仕打ち、苦しみながらも生を選んだ人々の強さを展示物は物語る。人権無視や差別偏見が横行する今だからこそ、ハンセン病の歴史に学ぶものは大きい。