<金口木舌>「安全神話」と責任


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 どの店でも所々のテーブルで涙を落とす人がいた。5年前、魚が売れない影響で廃業寸前に追い込まれた製氷工場の社長と福島県いわき市の飲食店を飲み歩いた時の経験だ

▼福島第1原発事故は人々から土地や家を奪い、失業や家族離散、商売の破綻などをもたらした。「『安全』はうそだった」。その社長も大粒の涙を落とした
▼10万人近くが今も避難生活を強いられている。しかし「原発はもううんざり」という雰囲気に包まれていた5年前とは違う空気も流れ始めているようだ
▼17日、福島市で沖縄や福島の問題の責任を問うセミナーに参加した。そこで、ある被災者の言葉が紹介された。「事故は人災ではなく自然災害の結果だ。第2原発はすぐにでも再稼働すべきだ」と語りつつ、「こう言うのも実は私自身がいまだに原発の安全神話にどっぷり漬かっているからなのかもしれない」と内面の矛盾を口にした
▼主催者の渡部純さんは「この発言は、何が原発事故の責任を問えなくさせているのかを垣間見せる」と言う。「復興物語」の中でまた安全神話が作られていると警鐘を鳴らす
▼一方のわが沖縄。「安全保障」の美名の下で米軍の新基地建設や自衛隊強化と、めじろ押しだ。「軍隊と隣り合わせはむしろ危険」という沖縄戦の教訓を思う時、基地安全神話にだまされない目を持ちたい。子や孫のためにも。